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あんまり煙突が高いのでさぞやお月さん煙たかろ 「福岡県」の目次へ |
ユネスコ登録 明治日本の産業革命遺産 |
宮浦坑(みやうらこう)の話ば始める前に、三井三池炭鉱(みついみいけ たんこう)の話からせないかん。三池炭坑の話ばするとなら、日本の石炭の話からせなならん。 |
そればいつ人間が見つけたと ? 宮浦坑は明治20年(1887)に開坑した三池炭鉱の主力坑の一つ。昭和43年(1968)の閉坑までの81年間、約4000万トンの石炭ば産出した。いまも残る煙突は、明治21年(1888)建造の高さ31.2m、上部直径2.9m、基部直径4.3mで、耐火赤レンガ約138,000枚が使用されとるていう。 宮浦大斜坑は、地上から石炭の層に行くまでの斜めのトンネルで、大正13年(1924年)から平成2年(1990年)まで、坑内で働く人や採炭資材などの出入口として使用された。
宮浦斜坑の長さは1,020m、深さ180m。坑口の大きさは幅5.61、高さ2.12mやった。 現在、坑口は封鎖されとる。 昭和38年(1963)11月9日に発生した三川坑炭塵爆発事故は、炭塵による粉塵爆発事故で、死者458名、一酸化炭素中毒患者839名ば出し、戦後最悪の炭鉱事故て言われとる。 宮浦石炭記念公園 |
場所・大牟田市西宮浦町132-8。九州自動車道の南関ICば下りて、県道10号線ば西へ約8Kmで国道208号線「元村」の信号。左折して国道208号線ば鹿児島島本線に沿うて南下。約8Kmの大牟田市「築町」信号で斜めに左折。県道3号線ば約600mで「上町2丁目」信号ば左折。300mの「西宮浦」信号ば右折すれば、100mで左。 取材日 2008.04.14 |
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