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正門が残っとったバッテン、2010年解体された 「長崎県」の目次へ |
正門の額に書いてある長崎刑務所の文字は刑が見たことなか明治の旧漢字 |
長崎は1992小川町に移転後もしばらくは取り壊されず、廃墟となっとったバッテン、平成19年(2007)に正門と正面の尖塔など一部ば残して取り壊され、2010年6月に完全解体された。 旧長崎刑務所(きゅうながさきけいむしょ)は、長崎県諫早市にあって、赤レンガ造りで平成4年(1992)まで使われとった刑務所。 当時は千葉、金沢、奈良、鹿児島の監獄とあわせて五大監獄と呼ばれとった。いずれも設計者は旧司法省の技師やった山下啓次郎で、この正門には、開口部に石材と煉瓦ば交互に配置し、軒下には小さなアーチが連続するロンバルト帯て呼ばれる装飾ば施すなど、デザイン的にも優れた構造やった。 いま、千葉、金沢、鹿児島は門や建物の一部が保存され、奈良はまぁだ少年刑務所として現役で使用されとる。 駅長が取材に行った2008年は、まぁだこげな建物が残っとって写真ば撮ることが出来た。 分厚かレンガ塀にカメラがビックリした。 |
いまは跡地が整備され、コンビニもでけて賑わうとる。 |
場所・長崎県諌早市野中町 太宰府ICから九州自動車道・長崎自動車道で諫早まで、120km。1時間14分。ETCで2,250円。諫早IC出たら国道57号線ば県立運動公園の横ば島原の方へ3kmで「小川町」の信号ば左折。400mで左手にマックスバリュー・イオンがある。この辺り一帯が刑務所の跡やった。 取材日 2008.2.19 |
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