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でけたとは160年前。当時は日本一の巨大石橋やった 「熊本県」の目次へ | |
みんなが困っとるケン、庄屋がひと肌脱いだ。その熱意に大工と石工が応えた。 日本一の石橋が完成した。 この眼鑑(鏡)橋には160前のドラマがあった。 | |
霊台橋(れいだいきょう)は弘化4年(1847)、ときの惣庄屋・篠原善兵衛が大工伴七と石工卯助に命じて架けさせた。当時、最大規模の石橋で、工期はわずか7ヶ月やったいうケン、びっくりタイ。 霊台橋が架けられた場所は今ならさしずめ幹線道路。昔の街道。日向往還の一部で、船津峡て呼ばれた緑川本流の深い渓谷。難所やった。 年貢の運搬に難儀する農民の姿ばみて、砥用手永の惣庄屋・三隅丈八が、船津峡に橋ば架けるて言い出し、木橋ば架けたもんの、大水のたんびに流されて(22年間で5度も流失)、これには、さすがの村民も悲鳴ばあげた。なしかていうたら、木橋の架橋は村民の負担やったけんタイ。 失敗ばすれば善兵衛ともども命はなか。一世一代の賭けやった。なんかNHKのプロゼクトXのごたあバッテン、早速、石集めやら支保工の木材集めが始まる。もちろん宇助の兄弟の宇市、丈八も加勢した。種山石工ばはじめ72名の石工が集められた。地元の農民延べ43,967人がこの工事に協力した。巨大橋建造の準備が進んだ。 最大の難関はクサ、初秋から翌年の台風の来る前に完成させないかんていうことやった。周辺の農民も死にものぐるいの工事が始まった。アーチば積み上げる輪石の大きさも桁違い。大勢の石工や農民が怪我ばせんごと土木の神様・加藤清正ば祀ってご加護ば祈った。棟梁の宇助は、毎日水垢離とって仕事ばしたていう。 橋の名前は、短い工事期間ながら、地元の農民の協力で予定より早うでけたことが、中国の古典「孟子」の中のある文王霊台建造の話に似とるケン、善兵衛は、この故事にあやかって「霊台橋」と名付けたていう。霊台いうたら物見台のことタイ。 橋の形式は、単一石造アーチで、橋長はちょっきり90m。道幅5.45m。高さ16.32m。 | |
場所・熊本県美里町砥用。九州自動車道ば御船ICで下りて左折。国道445号線ば5kmの御船町辺多見信号で右折。国道433号線に入り10kmの小筵信号を左折。国道218号線を7kmで到着。 ちょっと高速料がもったいなかバッテン、分かりやすかとは、松橋ICで下りて右折。国道218号線ば真っ直ぐ17km。 取材日 2003.3.26〜 | |
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