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鎮西八郎為朝が作った
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六殿神社(ろくでんじんじゃ)は、熊本市南区の南の端、もう宇土に近い雁回山(がんかいざん)の麓に鎮座する神社。 もともとは、球磨郡の相良氏から八代城ば追い出された名和氏がおったとバッテン、なしかこれが為朝城跡ていわれ、弓の名人鎮西八郎為朝やら鬼にまつわる伝説が多か。 それによると、若いときの為朝は余りに乱暴やったケン、父の為義から九州に追放された。始め豊後におったとやが、やがて肥後に来て阿蘇氏と結び、その後木原山に城ば築いて住んだていう。阿蘇大宮司忠国の聟(むこ)になって九州ば手に入れ、自ら鎮西八郎て名乗ったとゲナ。 その後、治承2年(1178)高倉天皇の勅願で鎮西地方の鎮護の宮として、時の内大臣の平重盛が、緑川沿いの菰江の地に船で来て、阿蘇大明神、天照皇大神、埴安姫神、諏訪大明神、氷川大明神、稲荷大明神を祀って仮宮ば建てたのが六殿神社の創建ていう。 六殿神社の楼門は、別名「釘無しの門」いうて、明治40年(1907)に熊本県下の建造物としては最も早う国の重要文化財の指定を受けたことで有名。 木の部分はすべて丹(たん)塗りで、春夏秋冬・朝昼晩・晴れ曇り雨のときどきに見える色が変化するていう。 明治40年に熊本県でいちばんに国の重要文化財指定ば受けた。 いまでも上部ば山形に切り落としたこの制札(縦36.7cm・横51cm)は、かすかに墨色ば留めて残っとる。昭和61年には天皇在位60周年ば記念して参道入口に大鳥居が建立された。 | |
2010年には社殿に92歳の建築会社社長植村数義さんが、嘉島町の日本画家大塚汽平(48歳)に半年がかりで描いてもろうた天井画(直径3.6m)ば寄付しなったていう。絵柄は雁回山にちなんで為朝タイ。 行ったとが夕方で拝殿も閉まっとったケン、格子の間からカメラば突っ込んで写真ば撮りよったら、見回りのおいしゃんが胡散臭そうに見ていきなった。賽銭泥棒て疑われたとかも知れん。 | |
場所・熊本市南区富合町木原。九州自動車道ば太宰府から城南スマートまで1時間普通車2.990円で走る。取り付け道路から県道38号線へ左折。西へ2.5km行くと左手に看板と鳥居が見える。右折して400mで右に駐車場がある。 | |
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