このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

西海のうず潮跨ぐ 銀色のアーチ        「長崎県」の目次へ

 初代の西海橋は、大村湾口の針尾瀬戸に、昭和30年(1955) 架橋された固定式アーチ橋で、アーチ間216mは建設当時、東洋一。世界第3位やった。

 完成した途端に、アーチの美しさと公園の桜、うず潮などの条件が揃うとって、あっという間に長崎の一大観光地になった。



 自殺の名所としても有名になったため、のちには飛び込み防止のネットがつけられたほどやった。 


 西海橋。正式には鋼道路橋・上路式鋼ブレースドリブ固定アーチていうとゲナ。全長316m。アーチの径間216m。海面からの高さ43m。巾7.5m。初めは有料道路やったけど、昭和45年(1970)からタダになった。15年間で元取ったていう訳。





















 西海橋が架かっとる針尾(伊ノ浦)の瀬戸は、佐世保、大村両湾の満潮、干潮の時間が、約3時間もずれるために潮の流れが速く
「うず潮」が起こる。

 潮の流れは最大で9ノット(時速約17キロ)うず潮の直径は、最大で10mにもなる。橋がでけた当時の大潮の時期には、観光客が押し寄せて、その人気は大変なもんやった。「深く巻いては沈み、大きく浮かんでは消える」ていえば、なんか文学的バッテン、大小のうず潮は、いつ見ても引き込まれそうで、いつまで見ても飽きん。うず潮の起こらん穏やかな時間帯は、絶好の釣り場になっとった。

 50年経っても旧西海橋は美しか。

 こんどでけた新西海橋よりも凛として見える。

 それもそのはず、この橋で成功したもんやケン、1962年の 若戸大橋、1973年の関門大橋、本四架橋などが次々に作られていったとタイ。

 いうならば、日本の近代橋梁の元祖みたいな記念すべき橋よ。


 橋がでけた翌年の、昭和31年(1956)には、東宝映画の「空の大怪獣ラドン」にさっそく西海橋が出てきて、ラドンにヒチャガチャくずされてしまう設定やった。
 この映画ば見た地元の子が泣きだした、て話題になったことがある。

 2006年3月5日。西海パールラインの一部として新西海橋が開通した。西海パールラインは1999年から、佐世保市江上町〜針尾東町の2.2kmが供用されとったケン、これで西彼市まで繋がったことになる。
 ハウステンボスやら西海橋公園へのアクセス向上と、西海橋の渋滞緩和が目的ていいなるバッテン、景観的には針尾の景色ば台無しにした。

 また橋の色使いも悪か。曇りの日やらは、「どこにあるとか分からんごたあ
ねぼけ色」で、これば「国交省色」ていうとやろうか。

 歩道は車道の下にぶら下がっとって、両サイド全面ば金網で囲うてあるケン、動物園のオリの中ば歩かせられよるような錯覚に陥る。車道は西海パールラインの一部やケン、200円の通行料ば取られるが、オリの歩道はタダ。ただし夜は閉鎖される。

 歩道橋の中央部に、強化ガラスで作った直径60cmの窓がある。
うず潮ば見るためげなバッテン、ガラスがあると分かっとっても、この上に立つと背筋に快感が走る。
 うず潮の見られる詳しい時間表が掲示してあって、うず潮の出るとばテレーッと待っとる、のんきな観光客もおんなった。

新旧の西海橋競演。トローンとした色の新西海橋は、シャキッとした旧に負けとる。

場所・長崎県佐世保市/西海市。九州高速長崎道の武雄JCTから西九州道に入り大塔で下りる。国道213号線ば南下して「江上」の信号からハウステンボスの横ば抜けて、国道202号線との交差点ば左折すれば新西海橋。 取材日 2006.4.9

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