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 原爆の爆風でやられ片足で立っとる鳥居  「長崎県」の目次へ
 原爆の被爆建造物           

原爆に耐えて残っとる山王神社二の鳥居

 祀られとる神は中央が
天照大御神(あまてらすおおかみ)
豊受比売神(とようけ びめ)
大山咋神(おおやま くいのかみ)
大物主神(おおものぬし)の4柱
 左座に伊邪那岐神(いざなぎ)
高皇産霊神(たかむすび)
天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、神皇産霊神(かみむすびのかみ)
大年神(おおとしのかみ)
経津主神(ふつぬしのかみ)
 右座に
健甕槌神(たけみかづちのかみ)
御代御代皇御孫神(歴代天皇)ば欲張って祀ってある。

 そのなかで大山咋神、大物主神、大年神の3柱はが旧山王神社の主祭神やった。

 山王神社がでけたとは寛永15年(1638)島原の乱ば鎮圧するため長崎に来とった松平信綱が、浦上街道ば通りがかったところ、その景色が近江の比叡山に似とって、地名も比叡山の鎮守である山王権現の鎮座地坂本と共通するもんやケン、山王権現の勧請ば思い立ち、長崎代官と計って「山王神社」として創祀されたて伝わっとる。

 

 皇大神宮のほうは浦上村のキリシタンへ改宗ば促す宗教対策の一環として、1868年に今の山里小学校の地に伊勢神宮ば勧請して「皇大神宮」として創祀されたとがはじまり。

 当初、祭礼や修築等は官費で行われることになっとったとバッテン、明治5年(1872)に官費の支弁が停止され、氏子やったキリシタン達も棄教や改宗ば拒否して知らん顔しとったもんやケン、神社の維持経営がでけんごとなり、同年8月に台風で大被害ば受けると再建もままならず、長崎県令内海忠勝(うつみ ただかつ)が永続の見込みがなかいうて合併ば命じた。

 皇大神宮側は、
日吉神社の氏子と協議して、日吉神社の地に遷座して合祀し、再出発した。

 昭和20年(1945)8月9日にアメリカ軍の原子爆弾(原爆)投下により社殿は元より由来書や宝物などもみんな焼失してしもうた。

 神社の二の鳥居は原爆の爆風により片方の柱が吹き飛んだ状態で立っており、現存する原爆の被爆建造物となっとる。

 原爆投下で周辺は焼け野原になり、4基あった鳥居も一の鳥居と二の鳥居ば残して倒壊したが、一の鳥居は無傷で、二の鳥居は爆心から遠い片方の柱と爆風によりねじれて角度がわずかに変わった笠石の半分ば残して立っとった。

 その後の調査により、両鳥居は爆風の向きと平行して建っとったケン、全壊ば免れたといわれとるバッテン、昭和37年(1962)に一の鳥居も交通事故で倒壊し、跡地に案内板が設置されるだけになってしもうた。

 また、三の鳥居は倒壊した柱の一部が地元自治会により「坂本町民原子爆弾殉難之碑」として残され、毎年8月9日早朝に慰霊祭が行われとる。

 現在、旧二の鳥居は鳥居としての役割ば果たすとともに、当神社唯一の被爆遺構ていう意味も果たしとる。なお、公式名称は「一本柱鳥居」バッテン、地元では「片足鳥居」ていう名称で通っとる。

 山王神社(さんのうじんじゃ)は、長崎市にある神社。村社やったとバッテン、県社の皇大神宮(こうたいじんぐう)と合併した。浦上皇大神宮(うらかみ こうたいじんぐう)とも、山王日吉神社(さんのう ひよしじんじゃ)ても呼ばれとる。

 長崎市に原子爆弾が落とされたとき、爆心地から約800メートルの地点にあつたもんやケン、被爆し、その跡ば残す一本柱鳥居やら、熱線により裸同然にとなりながらも豊かな緑ば取り戻した楠の木で有名。

              本殿は桁行3間梁間2間の神明造風切妻造で屋根銅板葺。

 例祭は10月17日で、浦上くんちが奉納される。浦上くんちは「浦上九日」とも書き、元来は山王神社の祭典として明治改暦以前は9月18日に行われとった。また山王神社は古くは3月18日に山王祭ばしよった。

 二の鳥居(一本柱鳥居)
↑ 倒壊部分も参道脇にチャンと残してある。

 山王神社の境内入口に南北に向かい合って立つ2本の楠。
 南側は胸高幹周8メートル、北側は同6メートル程で樹高はともに20メートル前後、樹齢はそれぞれ400年から500年とみられる。

 両木とも原爆の爆風により上部が欠損したため、幹周に比べると樹高が低っか。熱線により幹の肌ば焼かれた跡も確認でける。

 原爆により枝葉は失われ、幹も焼かれ黒焦げ同然となった。被爆後にアメリカ戦略爆撃調査団が撮影した写真では立ち枯れしてしもうとったバッテン、やがて自然に樹勢ば盛り返し、それぞれ大小の支幹から枝ば張り出して東西40メートル、南北25メートルの樹冠ば形づくり、今日でも豊かな緑ば湛えとる。

 山王神社ではその生命力に預かって「大くすお守」ていう御守ば出しとんなる。

 平成7年(1995)の調査で、大クスが原爆の炸裂により生じた高線量の放射線で、突然変異ば起こしとったことが明らかになった。

 平成18年(2006)の台風13号で枝が折れたもんケン、樹木医が木の幹ば点検したところ、新たな空洞が見つかり、その中に被爆当時の表面が焼けた石やら瓦礫などが見つかった。

 原爆生き残りの樹木としての意義が深いケン、昭和44年(1969)に「山王神社の大クス」として長崎市の天然記念物に指定された。

  天然記念物になった 2本の楠
↑ 空洞からは、被爆当時の表面が焼けた石やら瓦礫などが見つかった。爆風で飛ばされて来たとやうか?

 場所・長崎県長崎市坂本 大宰府から九州自動車道・長崎自動車道経由で長崎ICまで136km。1時間半。ETC3,540。長崎IC下りたらそのまま「長崎バイバス・出島道路」ば約4m走って市電「市民病院前」の信号に出る。そのまま直進して出島からは市電といっしょに走り、長崎駅前通過、浦上駅前の先200mの信号で右折。300mで突き当たる。  取材日 2007.12.31

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