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かくれキリシタンの里にド・ロ神父の結晶 「長崎県」の目次へ | |
長崎県指定有形文化財 | |
ここ外海(そとめ)地方の恩人、マルク・マリー・ド・ロ神父は、天保11年(1840)フランス ノルマンディー地方で生まれなった。 | |
そのド・ロ神父が、隠れキリシタンの多かった外海地方の主任司祭として着任しなったとは、明治12年(1879)36才の働き盛りやった。 もともと貴族の家の生まれやったド・ロ神父は、これらの施設建設やら事業のために、私財ば惜しみなく投げだしなったうえ、フランスで身につけとった農業・印刷・医療・土木・建築・工業などの「技術ば外海の人々に使わないかん」いうとが口クセやったゲナ。 出津教会は、建築が得意のド・ロ神父が設計・指導して建てなった教会で、ゴシック様式ば踏襲しながらも、日本の伝統文化ば重んじた建築様式で作られとる。 農業用地ば買い取り、フランスから持ち込んだ農耕用具で、自ら開墾もしよんなったていう。 上の2枚・煉瓦ば積んでモルタルで上塗りした壁。両側の入口は日本建築ば採用。漆喰で止めたうつくしか屋根。止めの瓦には十字架のマークが見えた。下の2枚・塔屋のキリストとマリア像が外海の人々ば見守るように立つ。 上・「夕陽が丘そとめ公園」から見た角力灘(すもうなだ)と黒崎西出津郷。 上・風当たりば避けて屋根ば低くうするために天井はコウモリではなく船底型になっとる。 右・簡素バッテン、親しみの持てる祭壇。 出津救助院 とド・ロ壁)ド・ロ神父記念館( 救助院の建物のひとつ「マカロニ工場」のほぼ四方ば廻る壁は、地元のウンモ片岩ば積み上げてつくられた壁で、通称「ド・ロ壁」て呼ばれとる。泥ででけとるケンじゃなかと。ド・ロ神父の指導で作られたけんタイ。 明治18年にド・ロ神父の設計施工で作られたいわし網工場(昭和42年2月に県指定文化財)やったとば利用して、記念館として使いよったとバッテン、建物が老朽化したもんやケン、平成11年から3年間かけて、始めに近か形に修復し平成14年、新たに開館した。 | |
場所・平成の大合併前は、外海町ていいよったとバッテン、いまは長崎市西出津町。長崎自動車道ば多良見ICで下りて長崎バイパスに入り、約10kmの川平ICから「川平有料道路」に乗る。 約5km走って現在の終点「井出園」の信号ば左折して国道206号線を約1km南下。「横島」信号を右折して県道28号線を約8kmで国道202号線に突き当たったら右折。三重港ば通り抜け約13km。外海海岸のドライブで出津に到着する。 時間に余裕があれば、西九州自動車道から西海橋経由して西彼半島ば南下したほうが面白か。 取材日 2007.12.20 | |
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