このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

ダムの底にある遺構に金かける。ロマンですなあ。     「鹿児島県」の目次へ

 曽木発電所跡は、鹿児島県大口市、曽木の滝下流1.5kmにある。しかも、1年のうち見られるとはたったの2〜3ヶ月間だけ。

 下流の鶴田ダムがでけて、お役ご免となったばかりか、ダムの底に1年の大半は沈んどる。ダムの水位ば下げる5〜7月だけ全体が水面上に顔ば出してくるていう不思議な遺構ていう訳タイ。

 この遺構、正確には曽木電気株式会社の「第二発電所」跡ていうことになる。明治42年にでけた発電所で、上流にある曽木の滝から、水路と導水路で水ば引いてきての水力発電所やった。

 水路の水は発電所の背後から、4本の導水管で落としてきてクサ、発電所内の発電機4台ば動かしよつたゲナ。

 使いよった発電機は、ドイツのシーメンス社製で、4台合わせると6,700kwの発電能力があったていわれとる。

 なんでシーメンスかていうと、曽木電気株式会社ば創立した社長の野口 遵(したがう)さんが、もともとドイツの電機メーカー「シーメンス・シュッケルト会社」の東京支社出身やったけんタイ。

 川内川の利用は分かるとしても、なんでこげな田舎に、発電所ば誰が作ったとか、ていうことバッテン、まず目的は、大口市にあった牛尾鉱山・大口金山への電力供給やった。

 そしてもともとは、明治40年(1907)にでけた第一発電所いうとがあったっちゃが、水俣村に作ったカーバイト工場にも電気ば送るため、第二発電所ば明治41年(1908)に着工しとうとタイ。

 このカーバイト工場が、後々、水俣病ば起こしたチッソ水俣工場ていう訳よ。

 明治42年(1909)、第二発電所もでけたとバッテン、ふのわるかことにクサ、9月に起こった洪水で第一発電所が全壊してしもうたもんやケン、第二発電所が4基に増設されて主力になった。

 昭和36年(1961)、第二発電所の下流に、国の事業で川内川の洪水調整と発電ば目的とした鶴田ダムの建設が始った。

 ダムがでけた昭和40年(1965)に、この曽木電気(株)第二発電所は廃止され、55年の歴史とともに湖底に沈んでしもうた。

 不思議なことがある。駅長が写真撮りに行ったとき、廃墟になった発電所跡で工事事務所までつくってクサ、工事のありよるやなかね。

 聞いてみたらクサ、発電所跡の補修・補強工事ゲナ。ダム湖に沈んどるもんば何で大金かけて補強せないかんとかいね。このコンクリだけの建物に、なんか残さないかん理由のあるっちゃろか。ロマンですなあ。

 南日本新聞の記事によると、登録有形文化財(2006年)やケンらしかバッテン、2年と2億3000万円もかけて、煉瓦ば積み直す価値のあるとかいな。そげな金のあるとなら、国交省よ放置されとる保存蒸気機関車もなんとかしてくれて、云いたかバイ。

 お陰で工事中のため部外者の立ち入り禁止。対岸にある公園の展望台からしか写真が撮れんやつた。

 川内川にある「曽木の滝」は、高さは12mぐらいバッテン、幅が200m以上もあって、水量も多かし迫力のある瀑布で、誰が言い出したか知らんバッテン、東洋のナイアガラ。
 たしかに立派な滝じゃああるバッテン、ナイアガラとはオーバー過ぎる。地元の身贔屓はよかけど、過大広告はいかんバイ。

 場所・大口市。大口市から国道267号で4kmほど南下すると曽木の滝の案内板がある。滝上流の橋を渡って右折し、川内川の左岸を1.5kmほど下れば、駐車場も整備された発電所跡見学用の公園がある。    取材日 2007.8.8

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