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明治の水力発電は今でも出力2100kw 「鹿児島県」の目次へ | |
登録有形文化財 | |
薩摩藩藩士、五代友厚(ごだい ともあつ)の養子の五代龍作(りゅうさく)は明治36年(1903)、第7代鉱業館長に就任して、山ヶ野金山の大規模な近代化ば実行した。その一環として、金山から約30キロ離れた天降川沿いの水天淵に発電所ば建設して、金山の設備ば電力に切り替えた。明治40年(1907)のことやった。 発電所はヨーロッパ風の石造建造物で、昭和58年まで使用され、その後、解体されたが、建て替えが行われ、現在も九州電力の水力発電所として使用され、屋根の一部が記念碑として仙巖園に保存されとる。 この水神記碑の立っている所が、もともと水天渕ていわれる場所で、隼人町の水田ば潤す灌漑施設「宮内原用水」の取り入れ口に当たる。 天降川(あもりがわ)は、鹿児島県中央部ば流れる二級河川。 霧島川は霧島市と宮崎県小林市の境にある韓国岳(標高1700m)から、南西方向に流れ隼人町松永の若鮎橋付近で天降川に合流する。 三国名勝図会によれば、天降川の名称はその水源が天孫降臨神話の場所ていわれる霧島山にあることに由来する。 出力2100kwは、玄海原発3号機の342万kwに比べたら馬鹿みたいなもんバッテン 宮内原用水と西国分郷鑿溝崇水神記碑 それでもなお、盛常は用水開発の利点ば強く説いて、ようやく藩の許可ばもろうた。 用水工事は、「水の取り入れ口付近に大岩が多く溝ば開通させるのにたいへん苦労した」て書かれとる。 現在まで明治・大正・昭和と何度か用水の改修工事がなされ、それら先人のおかげで用水完成から270年もの間、用水は絶えることなく、今も水ば運びつづけ、稲ば育て、あるいは消火用水として人々のくらしに役立っとるていう。 | |
場所・鹿児島県日置市伊集院町大田字管田。九州自動車道ば太宰府から230km。2時間半。5370円で南下「溝辺鹿児島空港IC」で降りる。とりつけ口から右折して504号線ば約3kmで国道223号線の「西光寺」信号で左折。天降川沿いに2km北上すると右手に発電所が見えてくる。ただし中に入ることはでけん。 取材日2008.7.9 | |
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