このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

覆屋に囲われとって中はなぁーも見えん       「佐賀県」の目次へ

 田嶋神社(たじま)には、主たる神として宗像三女神、ほかにも6神が祀られとる。

 神なら、なんでもかんでも祀っときゃよか云うもんでもなかろう。欲の深か神社タイ。

 
宗像三女神いうたら、多紀理毘売命(たきりひめ) 、市寸島比売命(いちきしまひめ)、多岐都比売命(たぎつひめ)の三姉妹で、日本神話によれば、アマテラスとスサノオの誓約(うけひ)によってでけたことになっとる。

 そして宗像の東の「六ヶ岳(むつがだけ)」に天下って、今でも宗像神社に住んどんなる。

 天孫ニニギの命が高天原から、豊葦原水穂国(とよあしはらみずほのくに)に降臨さっしゃった時、道案内と途中の安全警護ばしなった神ていうことになっとる。

 そやけんいまでも宗像神社が交通安全で詣りての多かとタイ。とくに玄海灘については縄張りにしとんなると。

 神さんはこのくらいにしといて、昭和62年6月3日、国指定重要文化財に指定されとる田嶋神社本殿が大切かと。

 なんでも、三間社流見世棚造(さんげんしゃ ながれみせだなづくり)て呼ぶ建築形式いうことで楽しみにして行ったとバッテン、覆屋の中にあってなぁーも見れんやった。

 
覆屋いうとは、鞘(かたなのさや)堂、莢(まめのさや)堂ともいうてクサ、中味が痛まんごと、二重包装した建物ていう訳。

 元は朱塗りの彩色社殿で、建立された年代は建武年間て伝わっとるが、少なくとも15世紀以前らしか。「佐賀県内最古の神社建築で、簡素ながら優れた建築である」ていうふれこみで、要するに古うして残っとったケン、文化財になったとやろうバッテン、見られんなら、一銭がとの値打ちもなか。

 なんで田嶋神社が波多津郷にあるとかていうと、呼子の加部島で田嶋神社ば守り神にしとった人たちが、波多津に移住してきて先祖が祀っとった同じ神ば祀ったとやろう、ていう説があるバッテン、あんまり信用はされん。

 たしかに加部島には田嶋神社いうとがあって、祀られとる神も同じ三女神ではある。

 この近くにある筒井ていう地名は、150年前に筒井順慶ていう武将が上戸(字名)に住んどったけんゲナ。筒井順慶ていう武将は織田信長の家臣にもおって、本能寺の変の後、明智光秀につくか秀吉につくかで迷うた「洞ガ峠の日和見」で有名バッテン、その筒井順慶とは別人のごたる。

 こっちの順慶は波多三河守の家来やった。(波多氏は松浦党の一族でこの辺りの豪族やったと。波多津町ていう地名も、波多三河守にちなんでつけられたとじゃあなかろうかていう人もある)

 順慶は昔、岩森ていう所で、大蛇ば退治した勇敢な人ということで、現在も田嶋神社には大蛇ば巻きつけた順慶の絵があるらしかバッテン、これも外からでは見えん。
 入口の手水鉢のそばに、プレハブの宝物倉らしきもんのあったケン、そのなかに入っとるとかも知れん。

 境内の横にはかつて「順慶松」て呼ばれた大きな松があったげなバッテン、昭和20年頃の台風で倒れてしまい、いまは無うなっとるゲナ。

 なんせ、人に聞こうにもあたりに人気がなかケン、どうしようもなか。
上・こんもりとした森の中、大きな楠が目立つ。

左・神社の壁が二重になっとって中ば覗きもされん。
 教育委員会が建物の説明板ば建てとんなって、建築史・地域史上貴重て云いよんなるバッテン、専門用語ばっかしで、現物ば見れんことにはサッパリ分からん。

下・苔むした狛犬さんが、自分が神社ば守っとるつもりで力んどんなった。
 場所・伊万里市波多津町畑津。唐津から伊万里さい向かうて国道202号線ば南下。北波多ば通過してすぐに(唐津から約10km)県道52号線へ右折。福島への標識がある。そっから約5kmも走ると右手にある。  取材日 2008.03.24
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