流れ落ちる水は白いレースのカーテン
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大野川の上流の大谷川に静かな貯水池がある。堰堤の長さ87m、高さ14m。
美しか。とにかく美しか。ダムがこげん美しかちゃあ知らんやった。
堰堤から、手作りの石の曲面ば流れる水は、白かビーズのごと、時にはレースのカーテンのごたあ模様に見えて飽きることがなか。
じっと眺めとると、浮世のことは勿論、時間のたつのさえ忘れてしまうほどタイ。
白水溜池。正式には、富士緒井路土地改良区・白水溜池堰堤水利施設一構。
この地方の水不足ば解消するために、計画から7年、着工して4年半もの歳月ばかけ、昭和13年(1939)に完成したと。
もうかれこれ70年もむかしの話しタイ。
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築堤にはこの付近に堆積しとる阿蘇の溶岩ば切り出して、レンガ状に加工し積み上げる方法が採られたとゲナ。
いわば 「手作りで石造り」の堰堤ちゅう訳。
当時、県の若き農業土木技師やった小野安夫さんが設計・監督ばして、多くの石工とともに見事作り上げなった。
水の力ば上手く逃がすため、左右相似形じゃなか。向かって左は、武者返しのごと水ば反転させ、右側は階段状に流しとる。地形・地盤の制約から考えられた工夫が、このデザインばきわだった美しさにしとる。
九重町の竜門の滝がヒントになったていわれとるが、背振眼鏡橋の下にも似たような滝がある。
美しさのことばっかり書いたバッテン、この溜池の水は、竹田市の片ケ瀬から豊後大野市緒方町の丘陵地帯にまで農業用水ば配水しとるとゲナ。水路の総延長は15km。受益地区は約400haにもおよぶていう話。
この地区はむかしから水利に恵まれとらんで、たびたび干害ば受け続けとったゲナ。
それが慶応3年の大干ばつばきっかけに、開墾者の後藤鹿太郎が「もうたまらん」いうて立ち上がり、井路開墾に東奔西走。幾多の苦難ば乗り越えて(なんか浪花節調)、ついに大正3年通水しなった。当時としては画期的な事業やった。
しかし井路はでけたバッテン、水不足は解消せん。白水溜池はもともとが「富士緒井路」の水不足対策として計画されたダムやった。
堰堤の高さが15m以上ないと、ダムとは見なされれんケン、正式には白水(しらみず)溜池タイ。地元ではこればダムダムていうケン、別にあるとかて勘違いする。
昭和13年いうたら、コンクリートがもう使われだした時代でクサ、この堰堤がなしコンクリートじゃのうて、石垣造りでこげん立派に仕上がったとか。次の理由が考えられる。
この近辺には、むかしから石橋がうんとあって、おおぜいの優秀な石工が育っとった。小野さんの設計も素晴らしかバッテン、この工事に携わった人たちに「石工の技術が継承されとったケン、見事にでけた」ともいえる。
石造りの構造物としては 最後期になる貴重なもんやケン、農業土木遺産では第一号国指定の重要文化財ていうとも「あったり前タイ」ていう感じ。平成11年5月13日に指定ば受けた。
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堰堤に向かって右は階段状に落とし、左は水ば「武者返し」のごと反転させて、衝撃ば和らげる工夫がしてある。
これまさに、水の芸術。その美しさと迫力は現地で見てみな分からん。 ハッと息ば呑み込む 水の芸術 |
場所・大分県竹田市大字次倉。竹田市から県道8号線を約10km南下するか、熊本からの国道57号線で大分県に入って約4km、豊後荻駅への案内標識で右折、荻駅前を通過してそのまま南下すると、竹田からの8号線に出る。駐車場はあるバッテン、そこから800mは歩くことば覚悟しときんしゃい。 取材日 2003.5.9 |
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