このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
防御のための櫓やったけど一度も攻められたことはなか 「福岡県」の目次へ | |
国重要文化財 | |
福岡城南二の丸多聞櫓(たもんんやぐら)は、現在の福岡市に黒田藩により築かれた江戸時代の日本の城、別名、舞鶴城のなかにある。 | |
もちょつと詳しくいうと、慶長5年(1600) 黒田孝高・長政父子は関ヶ原の戦いで抜群の功績ばあげたもんやケン、豊前国中津の16万石やったとから、筑前一国52万3千石ば貰うて、筑前の旧領主やった小早川秀秋の名島城に入城した。
江戸期には歴代の藩主により二の丸御殿や西の丸御殿の増築など数度の改修が行われたが、特に幕末の嘉永・万延年間に、11代藩主、黒田長溥(ながひろ)により大改修が行われた。 多聞櫓の話しばする前に、まず舞鶴城(まいづるじょう)の話しからしてこないかん。 なし多聞櫓ていうとか? 福岡城に47もあったていう櫓のうち、永年の風雪に耐えいま残っとるとは、多聞櫓だけ。 ↑→ 多聞櫓の中は、普段見ることがでけん。 特別の許可ばもらうか、イベントの時だけ。 | |
舞鶴城 本丸跡二の丸跡などは舞鶴公園となっており、平和台陸上競技場などのスポーツ施設がある。 かつては西鉄ライオンズ・福岡ダイエーホークスの本拠地やった平和台野球場もあった。また、筆頭家老屋敷跡には福岡高等裁判所などの公共施設、その他の施設などが建築された。 ↑ 旧天守閣跡からの桜満開の舞鶴城公園。↓ 四季を通じて花・紅葉。 | |
場所・福岡県福岡市中央区城内。天神から地下鉄空港線の姪浜行きに乗ってふたつめの「大濠公園」で下りる。地上に出たら堀を右手に約300mバック。「大手門」信号ば右折して舞鶴城公園内ば400m歩けば左上に多聞櫓が見える。 取材日 2007.1.19〜2016.7.28 | |
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