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空海創建の日本一ふるか真言宗の古刹 「福岡県」の目次へ | |
地下鉄祇園駅の1番出口ば出た所、町のど真ん中にある東長寺。正式には南岳山東長寺ていう。 | |
それが今の東長寺で、いっとき志摩郡志登村に移った後、現在地に移転したていわれとる。 槙(まき)の木に彫られた千手観音立像が国宝で、これは平安時代の作げなバッテン、こらあ、ちょっとやそっとじゃ見せて貰われん。それに、この九州遺産では建造物しか扱わんと。六角堂が市の文化財タイ。 福岡大仏 真言宗の古刹も、いまでは町の真ん中になってしもうて、ぐるりぐるっとビルばっかし。 上・真ん中にあるとが大仏さんの入れ物。 二代藩主・忠之は寛永元年(1624)藩主になった途端、鳳凰丸ていう豪華な船ば造ったり、200人もの足軽ば新規に召し抱えたり、軍縮の時代に逆ろろうて、幕府から咎められた。 | |
総木造りの五重塔 東長寺創建1200年の節目事業に住職が建立ば思い立った五重塔。 藤田住職から「100年後の重要文化財になるごと、一番よか材料、技術ば使うてやっちゃんしゃい」て 塔本体は瓦ば葺いて、2010の12月末には完成した。 弘法大師がクサ、唐の修行ば2年で切り上げ、やっとこっと帰ってきて、対馬小路のボロで小さな船宿ば買い取り、持ち帰った経本やら仏具などば納めなったとが809年の10月で、これが日本の密教寺院の始まりやったて伝えられとるとタイ。 それから1200年も経ってこげな立派な「墓」ば作って貰うなんて、考えてもおんなれんやったろうケン、さぞかし喜んどんなるこっちゃろう。 | |
場所・博多区御供所町。JR博多駅から大博通りば海の方へ歩いて行くと、祇園町の先の右手にある。呉服町の交差点からやったら、博多駅向いて10分で左手に長い塀が見えてくる。車は無料の駐車場がある。 取材日 2008.04.06/2011.4.5 | |
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