このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

博多のむかしの広告塔           「福岡県」の目次へ
 博多の町民遺産

 州の南の突端に清流公園ていうとのあってクサ、モダンなキャナルシテイば背景に、高さが10mもある古風な燈台のごたあとの立っとうバッテン、知っとるね。

 これは、
博多の高灯籠いうて、市の案内板によると、明治32年(1899)に八尋利兵衛ていう人が、那珂川ば東京の隅田川に見立ててクサ、住吉から中州付近までば開発して「向島」ていう遊園地ば開園しなったとゲナ。

 そんときの開園記念に作られたとがこの灯籠ていう訳タイ。

 中州いうても、その頃はまあーだ草ぼうぼうで、仕事にアブレた労働者に、芋やら大根やらば作らせよったていう頃の話タイ。
 博多川に板橋ば架けて中州に渡らせよったケン、作人(さくじん)橋ていう名が残っとったくらいやもん。
 
 八尋利兵衛ていう人は、下川端の金山堂ていう漬物屋の大将で、明治12年、商用で大阪に行きなったとき、たまたま大阪の
蛭子祭(えびすまつり)で、呉服屋の「誓文払い」ば見てからクサ、その盛況ぶりにたまがって、誓文払いば博多にもってきなった人ゲナ。

 利兵衛さんなクサ、帰ってきてすぐに仲間の店ば説得してまわって、その年の12月3日には、福博呉服商28店が参加してはじめての誓文払いが始まったて、物の本に書いてある。

 誓文払いいうたらクサ、バーゲンセールのこっタイ。当時は大売り出しいうたら、その店がどうにもこうにも、ならんごとなった時にするモンて、相場が決まっとったケン、「利兵衛さん、あんた、なんば云いようとな、ウチあまあだ
しまえとらんバイ」いうて、初めはかたる(加わる・参加する)もんの少なかった。

 ところが、やってみたら大当たりタイ。チラシばうんと印刷して配ったり、旅館やら券番の割引券ば景品につけたりしたもんやケン、年々広がっていって、25回目からは呉服屋だけじゃのうてクサ、全業種の店が
かたってするごとなったと。

 誓文いうたら、約束手形のことタイ。手形で借りとう金の返済日が近まって、支払う現金作りにする安売りば誓文払いて云うたと。「誓文払いいうたら、マイナス思考で暗か」ケンいうて、利兵衛さんはじめ博多の商人は
「誓文晴れ」て云いよった。

 戦時中は中断しとったバッテン、戦後は新天町が復活1号の誓文払いば始めたと。たしかそのころはまだ「誓文晴れ」て云いよったごたる。

 利兵衛さん、なかなかの商才と人望のあった人のごたって、この高灯籠の全面には、協賛した商店の屋号がびっしりとはめ込まれとる。今で云うなら、広告塔やねえ。

 明治時代の博多の経済活動ば知る貴重な遺産バッテン、なしか現代風なキャナルシテイと似合うとるいうとが可笑しか。

中州の南の突端にある高灯籠。夜は屋台が並んで観光名所になるとはよかバッテン、昔からこのへんは風俗店のひしめいとる場所で、ガラのわるかとと、客引きのせからしかとが残念。

 灯篭の四面には、当時の有名店(やったっちゃろう)の屋号がズラリと並ぶ。これば見とるだけでも楽しかバイ。今ならさしづめ、新聞の「企業広告」やねぇ。

 場所・国体道路の春吉橋の東から、那珂川の右岸ばキャナルシテイのネオン見ながら南へ下っていくと突き当たる。
いかがわしか店に、引っ張り込まれんゴト要心しちゃんしゃい。              取材日 2007.2.24

待合室へ 「福岡県」の目次へ

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください