設計者は都留清一郎。政治家でもあり、水カタービンば設計して精米業ば営んどった実業家でもあったゲナ。
作ったとは町内の石工松田新之助。大正5年(1916)7月に完成し、これまで多くの大洪水にも耐えてきた。
昭和26年10月の「ルース台風」で水かさが12Mば越え、町内242戸の家屋が全壊流失したり、豊州鉄道の第2駅館川橋架までも流失したとに、鳥居橋は悠々と残っとった。
これは地盤やら水流に応じた設計がされとってクサ、スパンの長さやら、橋の厚みがそれぞれに違えた設計になっとったケン、よかっとうとタイ。
設計と技術の正確さを証明しとる以外のなにものでもなか。改めて石橋の強さば教えられて、みんな「ぽかーん」としたゲナ。
現在、上流に新橋が完成しとるけど、今なお地元の生活路として使われとる。
アーチ石橋の技術は、紀元前1世紀頃ローマに架けられたのが始まりゲナ。
この技法が日本へ伝わったとは、江戸時代の初めで、中国僧が長崎に伝えたらしか。以来、九州各地に広まってクサ、大分には熊本を経て伝えられたていわれとる。
深い谷に集落が点在する地形に造られた5連アーチは「例えようもなかごと美しか」ていうとが地元の自慢タイ。
「そんなら、もうちょっと回りば整備したらどうじゃろかい」ても思うバッテンねえ。
大分県は「石の文化」ていえば、なんか住んどる共頑固もんばっかりのごたるバッテン、そうじゃのうて、実際、磨崖仏(まがいぶつ)は全国の七、八割ば占めとるとゲナ。
また国東塔をはじめ独特の、しかも捨てるごとある石塔類、石造アーチ橋の数にいたっては、石工で有名な肥後ば抜いて日本一げなバイ。
県内に現存する石橋は約500、流失したり撤去したもんば加えると690にもなるとゲナ。そのうちの一割、60余橋が宇佐市院内町にいまも残っとって渡られるいうことが、たまがるじゃなかね。まさにこれこそ「生きとる文化財」やねぇ。
院内町は隣の安心院町(あじむ)が盆地なのに対し、深か峡谷ばっかりで、昔から「院内谷」て呼ばれとった。
浸蝕してその谷ば作ったとが、駅館川(やっかん川て読むと)の上流の恵良川とその支流ていう訳タイ。そやケン、石橋がいっぱい架かっとると。谷ばっかりやケン、石橋のなからな町内ば行ったり来たりするとにも不便で、日常の生活がにっちもさっちもいかんやったろう。
有名なものは県指定の文化財となっとる鳥居橋、御沓橋、町指定の荒瀬橋、富士見橋、西光寺橋、飯塚橋、分寺橋などバッテン、水雲橋などもよか。
なかでもこの鳥居橋は、下から見上げたら高さがあって美しか。「ローマの水道橋ば思わせる」ていうとは、あんまりバッテン、たしかにスマートさが感じられる。
松田新之助は近代の名工で、ほかにいくつもの橋ば架けとんなるバッテン、江戸期の山村藤四郎はじめ、大正から昭和初期にかけて、院内谷では二十余人もの名工の名前が伝わっとって、肥後の種山石工にも負けとらん。
橋の名前 | 架かっとる川 | 架橋年 | 石 工 |
一の橋 | 北山川 | 明治25年(1893) | 加来由蔵 小野萬吉 |
堺橋 | 北山川 | 昭和8年(1933) | 井上滝蔵 |
北山水路橋 | 藤ケ谷川 | 大正末期 | |
毒水谷水路橋 | 毒水川 | 明治39年(1906) | 渡辺徳丸 |
鳥居橋 | 恵良川 | 大正5年(1916) | 松田新之助 |
櫛野橋 | 恵良川 | 大正12年(1923) | 岩淵万吉 |
松木橋 | 妙見川 | 昭和23年(1946) | 迫野盛一 |
香下神社第一神橋 | | 大正4年 | |
香下神社第二神橋 | | 大正4年 | |
香下神社稲荷橋 | | 大正4年 | |
打上水路橋 | 高並川 | 昭和初期 | |
打上橋 | 高並川 | 文久3年(1863) | 山村藤四郎 |
永原橋 | 高並川 | 大正10年(1921) | |
谷橋 | 高並川 | 明治2年(1869) | 赤松次郎 |
宮の上橋 | 船木川 | 大正初期 | |
神通橋 | 船木川 | 明治25年(1892) | 赤松次郎 |
御仮屋橋 | 高並川 | 明治25年(1892) | |
渡谷橋 | 高並川 | 大正末期 | |
小稲橋 | 高並川 | 大正末期 | 松田新之助 |
橋詰水路橋 | 高並川 | 江戸末期 | |
長六橋 | 高並川 | 昭和7年(1932) | 松田新之助 |
新太郎橋 | 高並川 | 明治初期 | 川野新太郎 |
大重見橋 | 大重見川 | 昭和20年(1945) | |
御沓橋 | 恵良川 | 大正14年(1925) | 松田新之助 |
福巌寺羅漢橋 | 境内の池 | 江戸末期 | |
荒瀬橋 | 恵良川 | 大正2年(1913) | 松田新之助 |
大副水路橋 | (田の畦) | 大正末期 | |
大副池橋 | | 不詳 | |
水雲橋 | 恵良川 | 昭和2年(1927) | 松田新之助 |
久地橋 | 明治初年 | | |
原口水路橋 | 日岳川 | 大正末期 | |
上出平橋 | 日岳川 | 昭和3年(1928) | |
山の迫水路橋 | 山の迫谷川 | 大正2年(1913) | |
五名神橋 | | 不詳 | |
日岳境橋 | 五名谷川 | 昭和期 | |
日岳橋 | 谷川 | 昭和31年(1956) | |
宇土橋 | 日岳川 | 昭和期 | |
富士見橋 | 恵良川 | 大正14年(1925) | 松田新之助 吉村万太郎 |
鷹岩橋 | 恵良川 | 昭和3年(1928) | 佐藤半次郎 |
中島橋 | 院内川 | 大正10年(1921) | 松田新之助 |
宮の瀬橋 | 院内川 | 明治40年(1907) | |
畦橋 | 谷川 | 昭和期 | 松田丑男 |
景平橋 | 院内川 | 大正13年(1924) | 松田新之助 |
紀念橋 | 院内川 | 大正13年(1924) | 御幡億二郎 |
屋敷の原橋 | 院内川 | 大正7年(1918) | 御幡億二郎 |
田の原橋 | 院内川 | 昭和2年(1927) | 御幡億二郎 |
田の原橋 | 院内川 | 昭和2年(1927) | 御幡億二郎 |
経座橋 | 大門川 | 昭和25年(1950) | 中門岩男 |
院内橋 | 大門川 | 昭和25年(1950) | |
トイノモト橋 | 院内川 | 明治末期 | 日野宝作 |
西光寺橋 | 院内川 | 江戸末期 | |
月俣神橋 | 諸趾垣川 | 大正12年(1923) | 日野宝作 |
樋本橋 | 院内川 | 大正11年(1922) | 日野宝作 |
宮地嶽橋 | | 不詳 | |
大畑橋 | 用水路 | 明治末期 | 大畑(某) |
広丸橋 | 広丸川 | 大正2年(1913) | 吉村 栄 |
飯塚橋 | 余川 | 明治初期 | |
小野谷橋 | 小野谷川 | 昭和26年(1951) | |
裏谷橋 | 裏谷川 | 昭和32年(1957) | 佐藤 勇 |
出口の橋 | | 大正末期 | |
フネガモト橋 | | 昭和38年 | |
両合川橋 | 小平川 | 大正14年(1925) | 吉村万太郎 |
落合橋 | 滝貞川 | 大正末期 | 後藤セキ三郎 |
分寺橋 | 恵良川 | 昭和20年(1945) | 高名繁喜 |
土岩屋橋 | 恵良川 | 大正11年(1922) | 松田新之助 |
コチバサコ橋 | 恵曽川 | 大正12年(1923) | |
シリナシ橋 | シリナシ川 | 昭和期 | |
椎木橋 | 下恵曽川 | 昭和14年(1939) | |
宇土川橋 | 宇土川 | 大正10年(1921) | |
和田川橋 | 和田川 | 大正10年(1921) | |
野地橋 | 温見川 | 大正4年(1915) | |
中鍋橋 | 温見川 | 昭和12年(1937) | |
飛石橋 | 野地川 | 昭和2年(1927) | |
念仏橋 | 野地川 | 昭和3年(1928) | |
葛灰橋 | | 不詳 | |
打上川板橋 | | 不詳 | |
院内町の石橋群 県指定文化財 国登録文化財 駅長推薦
院内町の橋回りばしょうちゃ、やおいかんよぉ。1日じゃとても回りきらん。
まず、道の駅でマップば貰うて(ついでに云うとくバッテン、ここの猪うどんは旨か)東からでも真ん中からでも回ってみんしゃい。いっち南の念仏橋やら葛灰橋には、駅長もたいがい手こずった。