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対馬海峡ば守った頑強な要塞と2門の砲塔 「長崎県」の目次へ | |
対馬・要塞遺跡 | |
砲台は鉄筋コンクリート製で、爆撃に耐えられるごとコンクリート壁の厚みは2メートル以上もあった。特に砲塔部は、厚さ3mの擁壁で保護され、そこに砲身18.5メートル、口径40センチていう、巡洋艦「赤城」の主砲やった加農砲2門ば持ってきて据すえとったて言われとる。(「長門」ても「土佐」てもいわれとってほんなことは分からん) 豊砲台は、対馬のいちばん北、豊崎にあった。いまは豊(とよ)砲台跡とか豊崎砲台跡ていいよる。 対馬のほかの砲台といっしょでクサ、ここの砲台も実戦では一発の砲弾も撃たんまま、昭和20年10月、米軍の爆破班から解体されてしもうとる。 で、豊崎村やが、ここは朝鮮海峡に面しとって、軍事上要衛の地やった。そやケン、日本海と朝鮮海峡の制海権ば確保して、かつ守るために昭和4年(1929)5月に起工、5年かかって昭和9年にでけあがったとが豊砲台タイ。 砲台の上に上がったら、草ぼうぼうやった。柵の右が砲塔のあった場所。のぞき込んだら10m以上の巾と深さがあった。間違うてもこげなとこには、韓国観光団も来んケン、遺跡は静寂の中にじっと眠っとった。 戦争の遺跡は薄暗うて、そこで人が死んどらんやったっちゃ不気味か。人間の愚かな行為の記念碑タイ。 | |
場所・長崎県対馬市上対馬町鰐浦。対馬空港から国道382号線ば約66kmただひたすらに対馬ば北上すると、比田勝港に着く。ここからさらに県道182号線を北へ約4kmで豊の集落を抜けたら1kmで右折。くねくねとした山道を登り上がると砲台跡の駐車場に着く。約1km西には韓国展望台があってハングルが乱れ飛んどる。 取材日 2008.10.15 | |
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