このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
九州のいちばん東端にある灯台 「大分県」の目次へ |
日豊海岸国定公園 |
鶴御埼灯台(つるみさき とうだい)は、大分県佐伯市の鶴見半島の突端・鶴御崎に立っとる灯台。 ところが、昭和17年(1942)に主戦力のひとつやった丹賀砲台で実弾射撃の演習中に、なんと砲身の中で砲弾が爆発してしまうていう考えられん事故が発生し、丹賀砲台は多くの戦死者とともに壊滅的打撃ば受けてしもうた。 その後、占領軍によって武装解除された同砲台は長いあいだ放置されとったけど、昭和56年(1981)に鶴御崎に「鶴御埼灯台」が出来、平成元年(1989)には丹賀砲台跡地に「丹賀砲台園地」が出来たもんやケン、今は観光客が訪れるようになった。 この灯台が建設されたとは、豊後水道の入口に突き出した鶴御崎が古うから軍事上の要衝にあたるもんやケン、日清戦争が始まったとば機に、明治27年(1894)海軍が望楼ば作った。 白亜のコンクリート造り鶴見崎灯台。 現在、砲台の跡地ば含む灯台周辺は「ミュージアムパーク鶴御崎」として公園化されとる。 もともと鶴御崎いうとは、どげなとこか ? 先端部は50mから200mの高さば持つ海食崖で、崖上が「ミュージアムパーク鶴御崎」として整備され、世界のつばき園やパノラマ展望ブリッジ等が設けられとる。 高台にあるパノラマ展望ブリッジからは、鶴御埼灯台が眼下に見え、その先に広がる豊後水道ば見渡す絶景が楽しめる。 灯台本体は白色のコンクリート造りで、塔の高さは14.5 m。海面からの灯火の高さは197 m。レンズ ば通してキセノン灯が8秒毎に閃光する。実効光度は410,000 cdで光の届く距離 23.0海里(約43kmは四国まで届く)ていう。 この灯台の工事は灯台建設史上でも屈指の難工事で、完成までに4年という異例の長い日数がかかった。灯台の構造は、内側に煉瓦ば積み、その外側に徳山産の花崗岩ば積んだもんで、内部は8階建てになっとる。 この水ノ子島灯台の吏員休息所は、明治37年(1904)に完成したもので、5戸の住いがある大規模な煉瓦造りで、灯台の職員やらその家族が生活しとった。 →吏員休息所のトイレと居間 「ミュージアムパーク鶴御崎」のパノラマ展望ブリッジから見おろした鶴見崎灯台。 放置されたままの砲台跡の写真↑→ ↑ 「ミュージアムパーク鶴御崎」の高台にある「パノラマ展望ブリッジ」からは海峡が一目で見渡せる。 ←↓「豊後水道海事博物館」と「渡り鳥館」 |
鶴御崎は、演歌歌手・鳥羽一郎の歌唱する「男の港」(1986年、作詞:穂積淳、結城忍、作曲:中村典正)の舞台としても知られとる。 板子一枚生命をはった 踊る銀鱗しぶきの華に 高くかかげた大漁旗を 男の港 |
場所・大分県佐伯市鶴見大字丹賀浦女郎崎。福岡から九州自動車道〜大分自動車道ば走って、東九州自動車道の佐伯ICで下りる。「佐伯IC入り口信号」ば36号線へ左折。500mで国道217号線(佐伯弥生バイパス)へ左折。4kmの中江川渡ったら388号線へ右折。2kmで番匠川渡り「蛇崎」の信号ば左折。400mで堅田川渡ったらすぐに県道604号線へ左折。あと海岸線ば約15km走ると丹賀浦。さらに東へ海岸線ば走り続け、梶寄港の先で右折してひと峰越すと丹賀砲塔砲台跡から約3.5kmの鶴御崎燈台に着く。 取材日 2008.9.11 |
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