このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

昭和のはじめの香りがプンプン         「長崎県」の目次へ
 

 雲仙の歴史は古か。
 西暦88年の文献にはもう「温泉山」として登場し、701年には行基が寺ば開き、1672年には加藤善佐衛門が「延暦湯」ば始めた。

 しかし、雲仙ば変えたとは、昭和7年の外国人客誘致の国策推進決定にあった。
 翌年から、横浜のホテルニューグランド、上高地帝国ホテル、川奈ホテル、志賀高原ホテルなど、リゾートホテルがぞくぞくと完成した。

 この中にこの雲仙観光ホテルも入っとった。

 昭和9年に雲仙は国立公園に指定される。日本のリゾートブームは雲仙からはじまったていうてよかろう。

 もともと雲仙には、大正2年に県営ゴルフ場が開設され、昭和2年の段階で外国人来場者はすでに2万人ば超えとった。

 それからすると、雲仙はすでに国際リゾートやったとバッテン、ホテルの完成で、雲仙にリゾートとしての核ができた、ていうことができる。

 雲仙観光ホテルは、その雲仙温泉の真ん中にある。
 昭和10年10月10日の開業やケン、今年73年目ば迎えたクラシックホテル。

 あっちこっち、そそくってはあるが、創業時の建物がそのまま現存しとって営業中。
 創業時のスイス・シャレー風の外観も変わっとらんでシャレー(洒落)とる。

 2003年、国の登録有形文化財に指定された。これはなんと日本で4番目に登録された文化財らしか。

 標高700mの高原に湧く雲仙温泉。大宝元年に僧・行基によって発見された古湯。かつては霊山やった雲仙。

 徳川幕府の命により、キリシタンに改宗ば迫るため地獄ば利用した辛い歴史もある。その後は外国人にも愛される温泉になった。ここほど日本の歴史ば見てきた温泉も珍しか。

 温泉山と呼ばれ
とったとが、誰か慌てもんがクサ、OとUば間違えて、ONSEN=UNZENになった。それで雲仙の字が当てられたていう、当てにならん説もある。

 雲仙ではあっちこっちの地獄から温泉が噴き出しとるケン、正確な湧出量は測れんげなバッテン、それでも、1日に400トン以上の湧出量ば誇る硫黄泉。リウマチ、神経痛、皮膚病、肩こりなどに効能がある。

 湯煙、地獄、温泉卵。温泉らしい温泉に間違いはなか。世界の阿蘇なら、こっちも世界の雲仙タイ。

 サービスは流石バッテン、格式の高っかホテルやケン、立ち寄り湯やらはしよりまっせん。
 駅長は、写真撮しに行って、あつかましゅうコーヒー一杯だけ飲んで帰ってきた。いってみろうて、思もわっしゃつたらクサ、下のURLから雲仙観光ホテルのホームページばようと見てやんしゃい。
  http://www.unzenkankohotel.com/

 場所・雲仙市小浜町雲仙。国道57号線で小浜の方から雲仙に登っていくと、白雲池ば過ぎてすぐ温泉街の入口で、国道は右折しとる。右折して150mの右にホテルのエントランスロード(トップの写真)が見える。    取材日 2007.10.1

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