応神天皇も自分の傍に三女神ば置くなんてスミにゃあおかれん。
三之御殿は後から応神天皇のおっかさんが祀られた。
応神天皇はマザコンやったとバイ。どこでも神功皇后といっしょに祀られとんなる
普通、神社に詣るときの作法は「二礼、二拍手、一礼」 これが宇佐神宮は「二礼、四拍手、一礼」てなる。
この拝礼作法は、全国で出雲大社とここだけ。なして国ばおっ取られた大国主の出雲大社と、侵略者側とが同んなじ詣り方なのかは分からん。
四拍手で詣ったら、なぁーんか気ぜわしゅうて落ち着かん。
「呉橋」ていうとは、西参道からの入り口で、昭和初期までは、こっちが表参道やった。中国の「呉」の職人が作ったケン「呉橋」ゲナ。
寄藻川に架かる木造の廊橋で、長さが25m。向唐破風・桧皮葺の立派なモン。
いまは、皇室の誰かが詣んなあ時だけこっちば使い、一般は通らせんと。
奈良時代(769年) 女帝の称徳天皇が、愛人の坊主・弓削道鏡ていうとばクサ、「宇佐神宮のご神託じゃ」いうて天皇の位に就かせようとしよった。
神託なんて「すらごと(博多弁でウソ)」て見破った和気清麻呂は「自分が宇佐神宮に行って聞いてくる」いうたもんやケン、「邪魔すんな」いうて道鏡に足の筋ば切られてしまう。
足ばツンゴツンゴ引きずって、九州まで下ってきた清麻呂に「豊前の竹和山・湯川の霊泉に浸かんない」てご神託があり、現れた猪の大群に守られて湯川まで運ばれなった。
湯川の霊泉で治療したところが、こらまたどうじゃろかい、数日で足の傷が治ってクサ、立てるごとなんなったとゲナ。
竹和山いうとは今の北九州八幡の足立山のことで、清麻呂の足が立ったケン、足立山て云うごとなったとタイ。
直った足で宇佐までたどり着いて、八幡さんに聞いたところ「ばかたれ、皇室の血統でもなかもんに、天皇の位ば授けたらいかん」いうお告げやった。
なんでご神託が博多弁になっとうとかは分からんバッテン、これで道鏡の陰謀は成功せず、天皇の血筋は守られたとゲナ。有名な「宇佐八幡神託事件」タイ。
最高神天照大神ば祀る伊勢神宮がすぐ近くにあるていうとい、清麻呂がなし宇佐神宮まで神託ば受けに来ないかんやったとかは謎。
昔ばたどれば、こげなことばっかしで、万世一系の天皇家なんていうたっちゃ、これも分ったもんじやなか。
クラウス10号蒸気機関車
折角、宇佐に行かっしゃったら、大駐車場のすぐ東側に、古うか蒸気機関車が大切に保存してあるケン、見てきんしゃい。
むかしいうても、大正5年(1916)から昭和40年(1965)まで、豊後高田駅と宇佐八幡駅の間(宇佐参宮線)ば走りよった、ドイツ製のクラウス26ていうお宝機関車タイ。
1889年生まれやケン、もう120年も経っとるとやが、2000年にJR小倉工場で修復され、ピカピカになってここで保存されとる。
上・この狛犬さんなあ知っとるかもしらんバッテン、天皇に関する日本の歴史はいい加減で謎ばっかしタイ。
西大門は文禄の頃に改築されたていわれ、桃山風の華麗なもん。
屋根は桧皮葺(ひはだぶき)で内部は極彩色。国宝の本殿とともに宇佐神宮ば象徴する建物ゲナ。この神門ば入ると上宮で本殿が拝まれる。
「呉橋」は皇室のお参りがあるとき以外は閉まっとる。