このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 岩壁に刻まれた61体の国宝         「大分県」の目次へ
  国宝

 その後、磨崖仏は山岳仏教の衰退と共に忘れ去られ、1000年の風雨に曝され続けることとなる。もともと阿蘇山からの火砕流が溶結した凝灰岩に掘られた石仏は脆く、また自然にできた道が大雨の際は川に変わり石仏を削り取った。現在、多くの石仏の下半身が切り取られたごと無くなっとるとはそのためゲナ。

 ほつたらかしの環境で仏頭も多くが剥落した。中でも、最も有名な古園石仏群の大日如来像の仏頭は、平成5年(1993)に保存修復が完了するまでの間、仏体下の台座に置かれたままになっとった。

 磨崖仏が何時、なんの目的・事情があって作られたとか、史料は一切残っとらん。
 ただ地元に伝わる「真名野長者伝説」では、この磨崖仏は亡くなった娘の菩提を弔うために長者が彫らせたとされており、用明天皇が登場することから、この伝説の舞台は6世紀後半と考えられとる。

 しかし、実際の磨崖仏は、仏像の様式などから大部分は平安時代後期、一部は鎌倉時代の作と学者は推定しとって、伝説とは意見が分かれとる。

 石仏群は4群に分かれ、地名によって、ホキ石仏第1群(堂ヶ迫石仏)、同第2群、山王山石仏、古園石仏と名づけられた。

 また、平成29年3月には古園石仏郡の手前右側の岩壁に刻まれた2体の「金剛力士立像」が、国宝に追加指定されるという内定が出された。これにより、臼杵石仏(磨崖仏)は合計で61体が国宝ていうことになった。

 凝灰岩の岩壁に刻まれた磨崖仏・臼杵磨崖仏(うすきまがいぶつ)は、大分県臼杵市にあり、一般には臼杵石仏(うすきせきぶつ)の名で知られとる。
 昭和27年(1952)に国の特別史跡に指定され、平成7年(1995)には、その規模と、数量において、また彫刻の質の高さにおいて、わが国を代表する石仏群であることが認められ、磨崖仏として日本初、彫刻として九州初の国宝に指定された。

 平成29年には古園石仏の手前右側の岩壁に刻まれた2体の「金剛力士立像」が、国宝に追加指定され、これにより
61体が国宝になった。

 仏頭が再び体とつながったことで、参拝すると首がつながる、会社でリストラ(解雇)されないていう迷信が生まれた。

ホキ石仏第二群は、2龕(がん)に分かれとって、第一龕は真ん中に阿弥陀如来坐像ば配した三尊像。第二龕は比較的小さな九体の阿弥陀如来像が刻まれとる。

臼杵石仏の中心的存在の古園石仏は、全13躯で、中尊には大日如来坐像ばすえ、その左右にそれぞれ如来像2躯、菩薩像2躯、明王像1躯、天部像1躯が並んどる。
 中尊の大日如来は、以前は、落ちた仏頭が仏体下の台座に安置されとったバッテン、保存の為の修復に合わせ、平成5年に仏頭も現在の見事な姿に復元された。

ホキ石仏第一群。ホキとは「がけ」ていう意味の地名で、ホキ石仏第一群は4つの龕(がん)に分かれていて、向かって左より第一・二・三・四龕となっとる。

上・臼杵駅のホームにある仏頭のレプリカは修復前に作られたもので、仏頭が足下に置かれとる。駅前にはこの像が彫られた当初の姿ば復元したレプリカが設置されとる。

国宝臼杵磨崖仏

大日如来及諸尊像(古園石仏) 13躯
金剛力士立像(古園石仏龕外左側) 2躯
如来及両脇侍如来坐像(山王山石仏) 3躯
如来三尊及両脇侍像(ホキ石仏第一群第一龕) 5躯
如来三尊坐像(ホキ石仏第一群第二龕) 3躯
阿弥陀如来及両脇侍像(ホキ石仏第二群第一龕) 3躯
愛染明王坐像 1躯(ホキ石仏第一群第一・二龕間)
大日如来及諸尊像(同第三龕) 5躯
地蔵菩薩及十王像(同第四龕) 11躯
不動明王・毘沙門天像  2躯
菩薩形立像(ホキ石仏第二群第一龕右側) 2躯
阿弥陀如来及び諸尊像(同第二龕) 11躯

門前磨崖仏
国宝には指定されんやったけど、国の特別史跡には含まれとる。

多聞天像
如来三尊像
不動明王立像
コンガラ童子像
セイタカ童子像

 場所・大分県臼杵市深田。太宰府ICから九州自動車道・大分自動車道・東九州自動車道と乗り継いで、170km、2時間、普通車ETCで2960円払い臼杵ICで下りる。県道502号線へ左折し臼杵川に沿うて約2kmの「臼杵石仏入口」信号で左折、200mで到着。 取材日 2008.5.6

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