このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

福岡県と大分県ば分ける山国川の河口に架かる      「大分県」の目次へ
  近代化遺産

上流からの山国橋。橋桁に穴が開いとる半分から向こうが福岡県。手前が大分県。

 藩制時代、中津に出かけるには、広津渡しと小犬丸渡しの渡し舟が使われとった。
 やがて明治2年(1869)広津〜中津間に船ば横に並べ、その上に板ば敷いた「船橋」が架かかった。
 明治36年(1903)年には、福岡・大分両県が工事費8万円ば出し合うて、幅4.5メートルの木造の山国橋が出来た。

 木造橋の完成で交通も大きく変化したバッテン、木製のため路面に穴があいたり、老朽化が進み、事故も起こるごとなって、「人殺し橋」ていわれるごとなった。

 昭和9年(1934)、福岡・大分両県がこんどは総工費117,125円ばかけ、工事日数17ヶ月、使用人数延べ23.000人で、長さ215mの鉄筋コンクリート製の山国橋ば作った。

 完成ば祝うて70歳以上10組夫婦の渡り初めがあり、傘鉾が20も出て賑わうたゲナ。この橋の道が当時は国道10号として、この地方の幹線道路やった。

 明治に造られた橋脚の下流側に橋脚ば伸ばし、橋の巾も4.5mから8mに広げ、グルーバー式鉄筋コンクリート橋に架け替えた。

 橋脚に2穴のデザインが特徴で、レンガ造りがどこか温かみを感じさせた。
 橋脚12基の中央ば大分県と福岡県の県境とした。福岡県側6基は下部に丸型のアーチがあり、大分県側はない。これは県境ばハッキリするためやった。

 その後、国道の開通など時代は大きく変貌し、交通や生活様式は変化し、吉富町は飛躍的に発展していった。

↑←福岡県側の橋桁。

↑大分県側の橋桁

←煉瓦の色が違う手前側が増設部分。
↑↑穴が開いとる福岡県側の橋桁 ↓大分県中津側の下流からみた山国橋の全景。右は吉富町
   山国川
 山国川(やまくにがわ)は、福岡県と大分県を分ける河川として知られる一級河川。
 英彦山(ひこさん)付近ば源流として南東方向に流れ、山国町守実付近で北東方向に90度近く向きば変え、耶馬溪町・本耶馬渓町と下り、中津市と福岡県築上郡吉富町の県境に架かる山国橋付近で二手に分かれ、西が「山国川」東側は中津川と名ば変える。
平安時代には御木川(みけがわ)て呼ばれとった。

 慶長5年(1600)に細川忠興が中津城に入ると、堤ば築造して当時の山国川ば締め切って中津城の外堀として利用した。

 その後、2度の洪水によって新たな川ができ、本流との間に中州ができた。これが今の小祝島。江戸時代には、新しく生じた川(現在の山国川)の水量は少なく、現在の中津川が本流でやったけど、明治22年(1889)の洪水で流量が逆転し、いまのように山国川が本流となったていう。

 
この川の総称はいったん中津川に決まりかけたとバッテン、明治8年(1875)に福岡県により山国川とすることが布達された。山国川ていう名は、上流の渓谷がかつて山国谷て呼ばれとったことに由来しとる。

 昭和23年(1948)から国の直轄事業による改修工事が行われ、昭和41年(1966)に河川法いうとが施行され一級河川に指定された。
←山国川上流の「猿飛千壺峡」
↓耶馬溪の「青の洞門」

 場所・大分県中津市・福岡県築上郡吉富町。福岡ICから九州自動車道〜北九州JCT〜東九州自動車道ば走り92km1時間10分、2,790円の「豊前IC」で下りる。取付道路1kmで「豊前IC入口」信号ば国道10号線へ右折。200mの「岸井」信号ば北へ左折。県道227号線ば2kmで国道113号線の「豊前市恒富」信号に突き当たるケン、こんどは右折。約1kmで佐井川ば渡りすぐの「吉富町直江」信号ば国道と別れて直進700mで山国橋の西に到着。  取材日 2007.12.1

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