彦火々出見いうたら、山幸彦のこと。兄貴の海幸彦と釣り竿ば取り違えて、探しよったら竜宮城に迷んでクサ、厚かましゅう豊玉姫ば拉致してきとると。いずれも神話やケン、まじめにしたらいかん。
この二人の間に生まれたとが、鵜茅草葺不合(うがやふきあえず)やった。
なんでこげな変な名前かといえば、豊玉姫の産気づくとが早すぎて、産屋の屋根ば葺くとか間に合わんやったけんゲナ。今なら出産の金がでけんで、費用間不合(ひようまにあわず)ていうとこやったかも知れん。
で、その鵜茅草葺不合が嫁さんの玉依姫(たまより)に産ませた四皇子の一番下が神武天皇。
こげんして古事記は無理やっこ日本歴史に繋いでいっとうと。。
ずっと神話ば遡って、伊邪那岐(いざなぎ)が海で禊ぎばしたら生まれたとが綿津見命で、玉依姫の親になる。このとき同時に海の中から湧いて出てきたとが住吉三神。みーんな海の神様ばっかし。
宗像三神は天照大神(あまてらす)から「孫の瓊々杵(ににぎ)が天下る前に、宗像地方から朝鮮半島や支那大陸へつながる海の道ば整備しとけ」て命令されて、宗像(正確には鞍手郡の六ケ岳)に降臨しなった三女神タイ。
そやケン本業は、海上交通の神さんやったとバッテン、最近は車の方にも業務の枠ば広げとんなる。
天児屋は天照大神が天の岩戸に隠れて、ちょこっと顔ば出したとき鏡ば渡した神で春日権現てもいう。瓊々杵が天下ったとき付いて降りてきた。藤原鎌足の先祖ても云われとる。
応神天皇と菅原道真はもう省略。駅長のしかともなか神話ウンチクば聞いてもらおうちゃ草臥れた。
左・神社が古かケン、狛犬さんも古うて、もう石が溶けかかりよる。
ところで本題はこの神社やが、欽明天皇の25年ていうケン西暦なら564年、天皇の勅願で創建され、鎌倉時代の建歴2年(1212)北条義時が社殿ば再興したていうケン、歴史はとつけむのう(とても・たいへん、ていう博多弁)古か。
時代は下って龍造寺・鍋島時代には、与賀郷の宗廟として崇敬され、とくに鍋島家は佐賀城の鎮守として手厚く祀っとったらしか。とにかく古か神社いうこと。
だけん重要文化財がゴロゴロしとるとタイ。
まず、三の鳥居。慶長8年(1603)に造られた石造り明神鳥居で、佐賀藩祖鍋島直茂(なおしげ)の夫人が奉建しなったもん。柱に「慶長8年癸卯初冬吉祥日」の刻銘がある。文化財としての時代区分は桃山時代ていうことになる。
鳥居ばこぐってから渡る石橋は、慶長11年(1606)に造られたもの。擬宝珠高欄付きの石造り反り橋で、橋脚6基で18本。藩祖鍋島直茂が寄進した。擬宝珠に「慶長11年丙午南呂彼岸日」の刻銘がある。
ともに重要文化財で昭和45(1970)に指定受けた。
伝説によると、天正年中(1580年頃)、直茂公が與賀神社の前ば通りよんなったら、うしろから「加賀様加賀様」て呼ぶ声がしたもんやケン、 ? て振り向きなったら、白装束の翁が石橋の上に立っとって「暗うてならんバイ」て云いなったゲナ。
これ、実は直茂の夢やったとバッテン、「神が常夜灯ば寄進せろ」ての思し召して悟った直茂が、常夜灯と油代ば差し上げたていう話が残っとる。
與賀神社ば祭神が先に書いたごと女神の豊玉姫んとい、それがなし白装束の翁で出てくるか。駅長に云わせると、ここらがちょっと矛盾しとる。艶めかしか女の幽霊のほうがよかつた。
上・三の鳥居に上がっとる扁額には「与賀社正一位・與止日女大明神」の文字が見える。
中・鳥居の柱には鍋島直茂(初代藩主)北の方の銘。
直茂は前藩主の龍造寺隆信と義兄弟やった。島原の乱で隆信が死んだあと佐賀藩ば引き継いで鍋島藩の基礎ば作った。
下・石橋の橋脚は相当痛んどるように見えた。
むかし、この宮川では幼児がたびたびカッパに引っ張り込まれよったらしか。川の中に石灯籠ば一対立て「この灯篭が立っとるあいだはイタズラすんな」ていうたら、それからは子供の水死が無うなったて云われとる。
続いての楼門は室町期の建築で、構造は正面3間、奥行き2間一戸楼門、入母屋造り、屋根は銅板葺き。壁は総丹塗りで派手に仕上げられとる。
同じアカでも赤は火のあか。朱は木のアカ。丹は土のアカていう。
大正2年(1913)いったん国宝にされたとバッテン、なしか昭和25年重要文化財に指定し直された。
ほかにも、通常は見られんけど、太刀も一振り重要文化財がある。
境内には大楠が5本もあって、昭和40年、天然記念物になっとる。なかでも社殿南側の1本は、樹齢1400年て云われ、ご神木ていう。
根っ子は溶岩が流れ出たごたあ瘤状で裾野ば広げ、太か幹は地上5mのところから二つに分かれて四方へ枝を伸ばしとる。樹勢はいまも旺盛で、佐賀市内でも代表的な古木ゲナ。
むかし佐賀郡に大楠があり、朝日の影は杵島郡の蒲川山ば覆ひ、夕日の影は養父郡(やぶぐん・いまの鳥栖あたり)の九千部山ば覆うほどの大きかもんやった。
日本武尊(ヤマトタケル)がこの楠の茂り栄えるさまば見て「この国は栄(さか)の国」ていうたケン、佐賀の郡名になった。
て、いうこじつけの話がある。
木の側に「我に迫る 三千年の楠若葉 (月斗)」ていう句碑があった。
月斗ていうとは青木月斗のことで、明治生まれの俳人、昭和30年の作。
しかし、これはまたオーバーな句たいねぇ。
太宰府天満宮にある萩原井泉水の「くすの木千年 さらに今年の若葉なり」からすると、あぽーっとするぐらいバイ。
左・直線上に鳥居・石橋・楼門と配置されとって気持ちよか。
上・本殿も堂々たるもんで左右に大楠。