このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
長野の善光寺に詣った空也上人が仏に命令されて作った 「大分県」の目次へ |
重要文化財 |
左が「犬飼橋」右の赤いとが最も新しか歩行者専用の「犬飼中橋」、右奥オレンジが「犬飼大橋」 |
豊前善光寺(ぶぜんぜんこうじ)は、大分県宇佐市にある浄土宗の寺院。山号は梵天山(ぼんてんざん) 信濃善光寺に詣った空也は「鎮西の衆生は我に因縁深厚なり、汝疾く護持して行く可し」ていう仏さんのインスピレーションば受け、善光寺如来ば護持して九州に下んなった。 ←正面の「向拝」が前に張り出して貫禄のある本堂 本堂 は 開基の空也が創建、後に建長2年(1250)大修理、文禄、元禄に修理の手を加えたと寺伝に伝えられとる。 建築様式などから専門家が見ると、鎌倉あるいは室町初期の建立らしか。 桁行7間、梁間5間で、屋根は単層寄 棟造妻入り、本瓦葺きとし、唐破風の向拝ば持っとる。 向拝(こうはい)いうとは屋根の中央が前方に張り出した部分のこと。 軒は二軒角繁垂木(ふたのき かくしげ だるき)、組物は出三斗(肘木の組み方)、木鼻(柱から突き出しとる部分)の形は禅宗様ば用いる。 内部は内陣、外陣に分かれ、内陣天井は真ん中ば高うした折上格天井(おりあげ ごうてんじょう)。折上格天井とは、碁盤目に組んだ天井のこと。 南門は貞享3年(1686)建立。 その後宝永2年(1705)に修理され、この時「梵天山」の山額が掲げられたていう。↓ この山額ば揮毫したとは、小倉藩小笠原氏の菩提寺の二世広寿法雲やったげなバッテン、どげな人かは知らん。平成17年(2005)解体修理された。 鐘楼 は 寛保2年(1742)の建立で、平成15年(2003)に解体修理された。 梵鐘は大治5年(1130)、寛文2年(1661)、宝暦2年(1752)それぞれ鋳造され、三代目は戦時中鉄砲の弾にするため供出させられとる。 いまあるとは昭和32年(1957)に鋳造されたもんで、四方に二十四孝が書かれとるらしかけど、鐘楼自体どこにあるか見落とした。 ↑本堂の祭壇ばお参りするふりばして、こそっと撮してきた。」 ←「正門」は新しかった。↓ここが善光寺の入り口。 |
場所・大分県宇佐市大字下時枝。福岡ICから九州自動車道ば北九州JCTまで51km。右折して東九州自動車道ば19kmの宇佐ICで下りる。高速ば出たら1.5kmの「伊藤田」信号ば右折国道10号線で1.5kmの「宇佐市佐野」信号ば突っ切って629号線に入る。2kmちょいで左手に糸口郵便局がある「下時枝」信号ば左折。100mで左斜めの小道に入ると突き当たる。 取材日 2008.11.6 |
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