このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

長野の善光寺に詣った空也上人が仏に命令されて作った   「大分県」の目次へ
  重要文化財

左が「犬飼橋」右の赤いとが最も新しか歩行者専用の「犬飼中橋」、右奥オレンジが「犬飼大橋」

 豊前善光寺(ぶぜんぜんこうじ)は、大分県宇佐市にある浄土宗の寺院。山号は梵天山(ぼんてんざん)
 善光寺いう名の寺は、長野の善光寺をはじめ全国各地にいっぱいあるケン、区別するため豊前善光寺と呼ばれ、芝原善光寺(しばはらぜんこうじ)、あるいは豊前芝原(しばわら)善光寺とも呼ばれてきた。

 天徳2年(958)、空也によって創建されたと伝えられる。空也いう人は、平安時代中期の僧で市上人(いちのしょうにん)て称され、民間における浄土教の先駆者と評価されとんなる。

 信濃善光寺に詣った空也「鎮西の衆生は我に因縁深厚なり、汝疾く護持して行く可し」ていう仏さんのインスピレーションば受け、善光寺如来ば護持して九州に下んなった。

 宇佐八幡に詣ったら
「乾の方一里余にして金剛不壊の霊地あり」ていうインスピレーションがまた働いて、一面芝原やった地に寺院ば建てたとが豊前善光寺の始まりであるとゲナ。

 江戸時代初頭まで宗派は「時宗」やった。開基以来盛衰もあったごたるバッテン、江戸時代は歴代の領主黒田、細川、小笠原氏の尊崇(尊びあがめること・心から敬うこと)も厚く、現在も念仏道場としてその法灯は、連綿と一千有余年も続いとる古刹ていう訳。

 ←正面の「向拝」が前に張り出して貫禄のある本堂
本堂 は 開基の空也が創建、後に建長2年(1250)大修理、文禄、元禄に修理の手を加えたと寺伝に伝えられとる。

 建築様式などから専門家が見ると、鎌倉あるいは室町初期の建立らしか。

 桁行7間、梁間5間で、屋根は単層寄 棟造妻入り、本瓦葺きとし、唐破風の向拝ば持っとる。

 向拝(こうはい)いうとは屋根の中央が前方に張り出した部分のこと。

 軒は二軒角繁垂木(ふたのき かくしげ だるき)、組物は出三斗(肘木の組み方)、木鼻(柱から突き出しとる部分)の形は禅宗様ば用いる。

 内部は内陣、外陣に分かれ、内陣天井は真ん中ば高うした折上格天井(おりあげ ごうてんじょう)。折上格天井とは、碁盤目に組んだ天井のこと。

 南門は貞享3年(1686)建立。
 その後宝永2年(1705)に修理され、この時「梵天山」の山額が掲げられたていう。↓

 この山額ば揮毫したとは、小倉藩小笠原氏の菩提寺の二世広寿法雲やったげなバッテン、どげな人かは知らん。平成17年(2005)解体修理された。
 鐘楼 は 寛保2年(1742)の建立で、平成15年(2003)に解体修理された。

 梵鐘は大治5年(1130)、寛文2年(1661)、宝暦2年(1752)それぞれ鋳造され、三代目は戦時中鉄砲の弾にするため供出させられとる。
 いまあるとは昭和32年(1957)に鋳造されたもんで、四方に二十四孝が書かれとるらしかけど、鐘楼自体どこにあるか見落とした。
 ↑本堂の祭壇ばお参りするふりばして、こそっと撮してきた。」 ←「正門」は新しかった。↓ここが善光寺の入り口。

 場所・大分県宇佐市大字下時枝。福岡ICから九州自動車道ば北九州JCTまで51km。右折して東九州自動車道ば19kmの宇佐ICで下りる。高速ば出たら1.5kmの「伊藤田」信号ば右折国道10号線で1.5kmの「宇佐市佐野」信号ば突っ切って629号線に入る。2kmちょいで左手に糸口郵便局がある「下時枝」信号ば左折。100mで左斜めの小道に入ると突き当たる。  取材日 2008.11.6

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