このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

鉄が無かったケン、骨組みは竹でしました竹筋橋            「鉄道遺跡」の目次へ

 宮原線(みやのはるせん)は、九重町の久大本線・恵良駅と熊本県小国町ば結んで、昭和29(1954)年に完成した。

 26.6Kmの路線は、地元にとって貴重な生活路線やったとバッテン、国鉄が赤字に耐えかねて、昭和59年に廃止してしもうた。

 35年もかけて作っといてバイ、30年でやめるちゃあどうゆうことかいな。はじめの構想は熊本市まで延ばすつもりやったていうケン、夢のような話。

 この宮原線の廃線跡には、国の有形文化財に登録されとる7つのアーチ橋が残っとって、そのうちのふたつは、なんと、鉄筋の代わりに竹ば使うた
「竹筋コンクリート」らしかゲナ。

 戦時中の物資、労働力不足の時に作られたケン、ルートのとり方やら、工事にしても制約ばっかりで、苦労しとんなぁとタイ。

 戦争するとい。鉄の足らんでクサ、学生服のボタンまで供出させられた頃やモン、鉄筋が竹筋に変わっても不思議はなか。

 バッテン、それで構造計算なあ問題なかったっちゃろうか。

 宮原線廃止から20年ば迎えたことがきっかけになってクサ、2003年に小国〜北里間4Kmの廃線跡が整備されて散策路としてよみがえった。橋ふたつ。トンネルふたつ。自然林ば縫うて片道1時間の森林浴ウオーキングができる。

 宮原線が走りよった橋は、恵良から小国に向かって、廣平橋梁(こうひら)・菅迫橋梁(すげのさこ)
   堀田橋梁(ほりた)・塩井川橋梁(しおいがわ)・堂山橋梁(どうやま)・北里橋梁(きたざと)
   幸野川橋梁(こうのがわ)の順に今もほぼ昔のままの姿で残っとる。

 竹筋橋てウワサされる橋のひとつ幸野川橋梁は美しか。いまは河川工事中で、まわりがゴタゴタしとるバッテン、スパンドレルていう飾り窓(透かし穴)ば持った6連のアーチ橋は、設計者のセンスが光っとる。

 竹とコンクリートの組み合わせは、第二次大戦時中の鋼材不足ば補う苦肉の策やった。引っ張りの力に弱いコンクリートの弱点ば補うため、鉄に近い引っ張り強さば持つ竹の性質に目ばつけたアイデアはよかった。幸野川橋梁だけじゃのうて、九州では松浦鉄道の福井川橋梁もその疑いがあるし、当時は全国で竹筋橋がはやったごたる。
 最近になって、残っとる竹筋橋が文化遺産として見直されとるとが面白か。

 竹筋橋かどうかは、素人が見たっちゃ分からん。中ばくり抜いて見な分からん。福井川橋梁なんて、工学院大学に頼んで調査しなったとバッテン、はっきり竹筋橋とは分からんやった。

上左・橋の上は歩いて渡ることがでける
上中・小国トンネルの中は蛍光灯も点く
上右・廃線跡に残されたキロポスト
右・橋脚の透かし窓は飾りと同時に、風当たりば弱める効果があったとかも知れん。
下・宮原線に残る7つの橋梁は、全部有形文化財に登録されとる。

 場所・熊本県小国町北里。日田から小国への国道212号線、小国の手前「下城の大イチョウ」の1.5km先「切原」から左折すれば県道318号線を約2kmで幸野川橋梁の下ば通る。小国町からなら玖珠町へ向かう国道387号線ば3kmで、左手に宮原線の北里駅跡がある。地元のおばちゃん達が野菜の販売ばしよんなる「森のキオスク」から坂ば下りると県道318号線。すぐ左にある北里柴三郎記念館の前ば道なりに約2kmで到着。         取材日 2005.3.30〜2006.4.26

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