このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

罪もなか市民が無差別銃撃された悲しか記念碑    「鉄道遺跡」の目次へ
 戦争遺産

 太平洋戦争の終わりに近い昭和20年8月8日。福岡駅ば9時25分に出た西鉄大牟田線の下り電車は、空襲警報が鳴ったケン、井尻付近で止まった。

 満員に近かった約200人の乗客は、一旦車外に出て避難。敵の戦爆連合(せんばくれんごう)が上空ば通過するとが見えた。180機ぐらいやったらしか。

 戦爆聯合ちゃなんかいうたら、爆撃機の
B29ば守るとい、まわりば戦闘機で囲んで飛ぶ編隊のことタイ。
 日本の本土ば空襲するとき、アメリカ空軍が使うた戦闘体勢よ。

 警報は1時間ぐらいで解除されたケン、避難しとった乗客は、ふたたび電車に乗り込んで発車した。
 その下り電車が筑紫駅に近づいたとき・・・もう昼ちかくやったろうか。

 突然あらわれたグラマン戦闘機がクサ、対向してきよった上りの電車に機銃掃射しだしたとが見えた。
 急停車して乗客避難ば始めるまもなく、この下り電車も激しか銃撃ば受けた。

  鬼畜米英の仕業。罪もなか市民ば狙い撃ちタイ。

 グラマンいうたら、太平洋戦争でアメリカば代表しとった戦闘機でクサ、ワイルドキャットとかタイガーキャットとか猫科の動物の名前ばつけとった。ほかに、カーチスやらダグラスていうとも飛んできよって、まーだ小学生やったバッテン、駅長は、見ただけで機種ば当てよった。

 たった5、6分の間に、上り電車で即死8名。下り電車で56名が死亡。負傷者は100名以上ていう被害ば受けてしもうた。
のどかな田舎の駅はおおごとになった。終戦までもうあと1週間ていう日の忘れられん惨劇やった。

 戦争ば子供ながらに見てきとる駅長にしてみれば、そらあ戦争やケン、一晩で2000人から死んだ6月19日の福岡大空襲も、旧15銀行(今の博多座)の地下室で蒸し焼きにされた65人も、仕方なかて云うてしまえばそれまでバッテン、60年経っても市民ば無差別攻撃したアメリカは許されん。

 いまでもアメリカ人みたら、こっくらそう(くらす=なぐる・叩く)ごたる。

 いま、立派になった筑紫駅の向かえ、公民館の横に保存されとるこの建物は、大正13年に開通した西鉄急行電車(いまの西鉄大牟田線はなしかしらん、急行じゃなかっても急行電車て云いよった)の、筑紫駅待合室として、昭和の初めに作られたもんタイ。

 現存する西鉄の駅舎ではいっち古かとゲナ。

 銃撃で壁やら屋根に弾の貫通した跡が生々しく残っとるし、その日運転しよった運転士さん、車掌さんの名前も書いてある。

 身近で起きた戦争の惨劇ば永く語り継ぐため、そして平和の大切さば忘れんために、近くの人たちが大切に保存しとんしゃあと。いついっても、花は絶えとらんし、誰があげたか千羽鶴のいっぱい下がっとる。

 物言わん粗末な木造の建物バッテン、これも貴重な遺産じゃなかろうかねえ。

 場所・筑紫野市。西鉄大牟田線ば筑紫駅で降りて、駅ば背にして2分行くと、真正面に公民館。その前にある。
                                       取材日 2007.1.18

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