このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
明治の蒸気機関車が喘いだ城山峠越え 「鉄道遺跡」の目次へ | |
九州鉄道遺跡 | |
九州鉄道が明治22年(1889)、九州初の鉄道路線ば博多駅から、久留米の手前・筑後川右岸の千歳川仮停車場(その頃筑後川は千歳川ていいよった)まで開通させた。 そして翌年の明治23年(1890)には博多〜遠賀川間。2年後の明治24年(1891)には門司港駅までと急ピッチで路線ば延ばしていった。 博多〜遠賀川間に線路ば通そうちゃ、宗像までは比較的平地バッテン、宗像と遠賀の間には、宗像四塚いう山塊があって(北から湯川山471m、孔大寺山499m、 金山317m、城山369m)、いちばん南へ逃げても城山にかかってしまう。この城山峠(じょうやま)ば越えないかん。 開通当初、城山峠にトンネルはなく、この峠越えは22.7パーミル(1kmで22m登る)の急勾配やったケン、蒸気機関車は後押しの補機ばつけても苦労しよったらしか。 その後、明治42(1909)年に城山トンネルいうとの出けてからは、路線が付け替えられ(20mほど北へ移動)、海老津側の廃線跡にいくつかの陸橋が残された。 | |
作んなったとは、開通させたとき請け合うたとがドイツのヘルマン・ルムシュッテルやケン、多分その部下のドイツ人の技師やったっちゃろう。ドイツのくせに、レンガの積み方はイギリス積み工法になつとる。 いらんごとなったもんは置いといてもしょうがなか。 当時、アーチの両側は築堤になっとって、列車は右から左へ、ヒーヒー喘ぎながら登って行きよったちゃろう。 広丸橋梁。海老津赤レンガアーチから10mも下れば、もうひとつレンガ橋がある。こっちは城山トンネルがでけたときに、付け替えた方の線路で、いまも鹿児島本線ば支える現役の橋タイ。上ば電車がビュンビュン走りよる。 これはもっと海老津駅に近い海老津橋梁。ちなみに城山トンネルば挟んで、いまは北が教育大前駅、南が海老津駅バッテン、開業時はそげな駅はなくて、北が赤間駅で南は遠賀川駅やった。 なんで岡垣駅じゃのうて海老津駅か 東から見た貫禄の赤煉瓦アーチ。道路からは反対側になる。前の道路は最近広く整備されたようで、猿田峠の方へ行ける。 | |
場所・遠賀郡岡垣町海老津。福岡から国道3号線ば北上。宗像市ば過ぎて「城山」の信号から1KM。城山トンネルの手前で旧道に右折する。右に鹿児島本線ば見ながら約1.5KMの信号ば右折。線路の下ばくぐり、またすぐに右折。線路ば右に見て500mも戻ると道路の右にある。 海老津駅からなら、駅前の信号ば駅を背にして左折。 取材日 2007.12.18 | |
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