このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

よそのもんから云われてお宝トンネルて気がついた       「鉄道遺跡」の目次へ

 むかしむかし、云うても平成になっての話。

 北海道から夏休みば利用して九州旅行ばしよった学生の鉄チャン(鉄道ファンのこと)が
「この石坂トンネルは、九州で一番古かトンネルのはずバッテン、さりげなく使うて、何の説明もなか。九州の鉄道ちゃあ凄かバイ」

 もうひとりが
「ひょっとしたら知らっしゃれんちゃなかろうか」いうて、赤村の役場に云うて行きなったゲナ。

 北海道の人が博多弁で云うていきなる筈はなかバッテン、ま、よか、そげなこっタイ。

 そしたら案の定、その価値についてなぁーも知らんやった赤村の役場がクサ、調べてみたら、こらどうかい。
九州で一番最初にでけたトンネルていうことが分かった。

 村では平成4年にオープンしとった自然学習村「源じいの森」のよか目玉になるいうことで「九州で一番古かトンネル」いう看板ば立てるやら大忙しになった。

 そうこうしよるうちに、平成13年12月2日付けで国の登録文化財に指定されたもんやケン、途端に石坂トンネルは有名になった。

 赤村の教育委員会も説明板作るやら大忙しタイ。

「いしざかトンネル」じゃのうて、地元では「いっさかトンネル」が正しかとていうことも分かった。





 
ところで平成筑豊鉄道・田川線には面白か駅名が多いけど、この「源じいの森」もその一つ。名前の由来は、赤村に多い源氏ぼたるのと、赤村の村花「春蘭」ば方言で「じいばば」ていうケン、そのじいと、赤村の70%のば組み合わしたとゲナ。

この石坂トンネルは、豊州鉄道(ほうしゅうてつどう)が行橋〜伊田間ば開業した明治28年(1895)に建設された。この線の目的は、人間ば運ぶとやのうて、全盛期やった筑豊炭田の石炭ば運び出すためやった。

 豊州鉄道は明治34年(1901)に九州鉄道に合併されたのち、鉄道国有法により明治40年(1907)、国有化され、田川線になった。

 昭和17年(1942)には彦山駅まで延伸されたとバッテン、伊田〜彦山間が昭和35年に日田彦山線に編入されたもんやケン、行橋〜伊田間だけば田川線ていうごとなった。

 筑豊炭田の衰退とともに、客はもとより、頼みの石炭も輸送量が減って、国鉄再建法で昭和62年(1987)にJR九州に承継されたあと、平成元年(1989)から、平成筑豊鉄道に転換された。平成元年にでけたケン、平成筑豊鉄道で愛称は「へいちく」タイ。

 田川郡と京都郡の境にある石坂峠付近では、香春の大阪山から延びる山塊が、今川に迫っとって切り立った絶壁やったケン、どうしても隧道ば掘らな通られんやった。

 九州鉄道の顧問として、ドイツから招聘されとったヘルマン・ルムシュッテルが、一緒に仕事ばしよった野辺地久記ば指導して、野辺地の設計で作られたとが豊州鉄道やった。当然、石坂第一トンネル、第二トンネル、今川に架かる鉄橋も、彼の設計による。

 源じいの森から見える第二石坂トンネル(写真上左)は、全長74.2mで覆工をレンガ積みで坑内は整層切石積み。

 当初は複線にすることば想定して作られたケン、巾26mと広かバッテン、でけてから、石炭需要の思惑違いもあって、ずーっと単線のみで使用されてきた。入口ば見ると中ばふくらませた曲線がなんともいえん。

 第一石坂トンネル(写真上右)は、第二石坂トンネルと同時にでけたっちゃケン、これも九州最古の鉄道トンネルやが、工事がしっかりしとったケンやろう、状態は非常に良好。さっきでけたばかりのことしとる。

 専門的には、下半部が素掘りの岩盤となっているほかは全て煉瓦構造。また、パラペットのレンガには装飾的技法が見られるゲナ。山側の岩盤が、未掘削のまま残されとるとも、手抜きじゃのうてアクセントになっとってよか。

 ポータルは両側ともに、切石ば前にせり出させて門柱のごとしてあるケン、頑丈な感じで貫禄がある。内部は赤レンガでアーチ状に構築され、下はイギリス積み、上は長手積み。入口は馬蹄形にならべてある。この使われたレンガも、レールも、鉄橋も、車両もぜぇーんぶ、ルムシュッテルがドイツから運んできたもんやった。

 工事は花崗岩の地質が複雑で難工事やった。そのせいか完成間際になって崩落事故が起こった。

 当時の新聞は「路線の両側なる高地の六百余坪は、音もなく潰落し、路線百間余りを埋没せし上、無惨にも工事中なる作業員等二十数名圧死したり・・・・」て、オーバーな記事で伝えとる。(でも実際14名の犠牲者が出た)

 こげな難工事の末に完成した石坂トンネルは、建築から110年余り経つバッテン、現在もなお平成筑豊鉄道田川線の現役トンネルとして活躍しとるとば見ると、やっぱあ明治は凄か。

 明治中期の隧道掘削技術を知る上からも貴重な近代化遺産であることに間違いはなか。

 トンネルも鉄橋の橋脚も、複線化ば予測して作られとったとがよう分かる。山陽新幹線と九州新幹線が相互直通で乗り入れするて云いよんなるバッテン、線路の規格違いはどげんすると ?


 トンネルは将来の石炭需要ば見越して、複線の巾で建設されとった。この見込みは物の見事に外れたバッテン、お陰でトンネルの中は広うて歩き易か。

 仲哀隧道のごと暗うはなかけど、それでも心霊スポットにもってこいバイ。 ほらッ、出たあッ ! ! !

 石坂トンネルのある「源じいの森」の村内には「日本で初めて、時速100kmで走ることが可能やった車掌車・ヨ9001」が保存展示されとる。

 昭和43年(1968)旧国鉄が開発した。ほんなことい100kmで走ったかどうかは分からんバッテン、筑豊で石炭列車にくっついて走りよったケン、ここにあると。現存する2両のうちの1両ゲナ。

 重さ9.7t、長さ6.8m、巾2.67m、高さ3.63m。高速車掌車やケン、特別に「青」で塗られとったらしい。

 場所・平成筑豊鉄道田川線「源じいの森〜崎山」 行橋市からやったら、平成筑豊鉄道に沿うとる県道34号線ば走れば、美夜古泉〜今川河童〜豊津〜新豊津〜東犀川三四郎〜犀川〜崎山〜て8つ目の駅が源じいの森。
 福岡からやったら、八木山峠ば越えて飯塚へ。さらに烏尾峠ば越えて田川。田川から
平筑(平成筑豊鉄道の略)に沿うて、田川伊田〜上伊田〜匂金〜柿下温泉口〜内田〜赤〜油須原〜やっと源じいの森にたどり着く。
 バッテン、こらあカーナビでもなからな道ば探し探し行きよったげんたい事故起こすバイ。  取材日 2007.10.07

「鉄道遺跡」の目次へ

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください