このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

100才越えてなお現役凛として明治の駅      「鉄道遺跡」の目次へ

 肥薩線が矢岳ば越えて、吉松から六つ目の駅が秘境駅・嘉例川。地図で見ると鹿児島空港の北になる。
 この山ん中に、明治36年(1903)生まれで今年104才になる嘉例川駅が凛として存在しとる。

 このあたり以前は隼人町やったとバッテン、国分町・溝辺町・横川町・牧園町・霧島町・隼人町・福山町が平成の大合併で霧島市になった。しかし、いくら市になったていうたっちゃ、一つ手前の「霧島温泉駅」から立て続けにトンネルが三つも続く山ん中の駅に変わりはなか。

 回り見渡しても、人の住んどるような、家は見あたらん。こげなところに明治政府はなんで駅ば作ったとか分からん。
ところがタイ、20年ぐらい前までは、なんと駅員さんがおったちゅうケン「たまがったぁ」やねぇ。

「たまがったぁ」なんて失礼な、ここはかつて農作物やら肥料・炭鉱の坑木の積み出しで栄えとって、ほんなことい、10人近い駅員さんがおった時代があったとゲナ。

  
 ホームも今は単線バッテン、2面3線のホームが残っとるケン、昔は活気のあったっちゃろう。100年以上経っとるだけに駅舎はとにかく古か、一軒隣りの「大隅横川駅」と鹿児島県下では最古の駅ていう話。

 それが、建ったときのまんまていうことで、有名になっとるとタイ。
 九州新幹線開業後
「明治のまんまの古か駅」てメディアに取り上げられて知名度を上げてしもうた。今では全国から訪ねてくる物好きがおってクサ、多かときは1日に800人もこの駅ば見に立ち寄ったゲナ。イギリス・フランス・マレーシアからまで見学に来たていうケン、メディアの力は恐ろしかバイ。

 以前この駅に10年勤めとったていう近所の福本平さんが、町から名誉駅長ば頼まれて、毎日手弁当で駅の掃除やら案内やらばしちゃりよんなさる。

 そやけんやろう、チリひとつ落ちとらんごとキレイかし、駅名標も汚れとらん。

 そしてさすがやねぇ、木造の骨組みやら土壁には明治の匂いがまあだプンプン残っとる。


 10畳ほどの待合室は三和土(たたき)で、改札口の足元の桟が丸ぁるう磨り減っとった 。

 戦争の時は、この駅からもバンザイ、バンザイで送られて、出征して行った人のあったちやろうねぇ。

 明治以来何人の子が、この改札口にぶらさがってクサ、汽車見て喜びよったちゃろうか。

 キップば買う窓口の木製カウンターも、ちゃーんと残っとって懐かしか。外も中も"レトロ"ば絵に描いたごたる駅舎タイ。

 照明は、換気口ば兼ねた天井の切りほぎから下がっとって、天井が高う見えるシャレた作り。

 一昨年、町は文化財として180,867円でJRから駅舎ば買いとった。

 こらあもう、立派な観光資源やもん。平成18年3月2日には、駅舎が国の登録有形文化財"Cランク近代土木遺産"になったゲナ


 駅前にあるカイヅカイブキは、昭和天皇が皇太子のとき、鹿児島に巡幸されて植樹しんしゃったとゲナ。

                      掃除の行き届いとってねえ、窓ガラスもピカピカに磨かれとった。

 平成16年(2004)3月13日。九州新幹線が開業してからは、特急列車「はやとの風」までが停車するごとなった。
 それまでは九州の秘境駅て云われる15の駅んなかに、堂々と入っとったとバッテン、もう秘境駅とはいわれん人気もんの駅になってしもうた。

明治のベンチか ?
黒光りしとった

 場所・鹿児島県霧島市。九州道ば横川ICで下りる。左折して県道55号線ば8km南下。俵迫の十字路ば左折して、さらに国道504号線を4km南下して、鹿児島空港の北端で左折。県道56号線ば3kmで到着する。楽な行き方は、人吉から観光列車「いさぶろう号」で吉松へ。特急「はやとの風」で嘉例川下車タイ。             取材日 2006.8.8

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