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明治22年。九州初の鉄道がこの橋の上ば走った。     「鉄道遺跡」の目次へ

 ヘルマン・ルムシュッテルていう男がおる。
「おる」じゃのうて「おった」。ドイツ人。
 ドイツ鉄道会社の技術者やった。

 日本に初めて鉄道が敷設されたのは明治5年(1872)のこと。新橋〜横浜間ば走った。国の一大事業やったケン、明治天皇も乗らっしゃった。

 それから16年遅れて、明治21年(1888)8月15日に九州鉄道会社が設立され、九州にも鉄道ば通そうていうことになった。

 バッテン、それの出来る人材がおらん。
 そこでドイツに無理云うてクサ、顧問として、ムシュッ(むしって)てきたとがルムシュッテルやった。

 会いたかったら博多駅のコンコースの柱に「九州鉄道の父」としていつっも飾られとんなる。

 

 当時、日本は鉄道技術に未熟、ていうか、なーも分からんやったケン、東海道線はイギリス。北海道はアメリカの技術援助ば受けて進んどった。外国にしても日本は鉄道一式売り込むとに、よかカモと思うとったごたる。

 「ルムシュッテルば派遣して指導しますケン、その代わり蒸気機関車もレールも勿論、なんもかんも機材はドイツ製ば採用してつかあさい」て、いうこっタイ。それに九州鉄道株式会社は乗った。

 弘化元年(1844)生まれのルムシュッテルは、ベルリン鉄道局やザール鉄道の建設に従事した後、ドイツ鉄道会社に入社しとった。日本に来たときが44才で、資材から建設まで知識も広く、鉄道経営にも精通しとったケン、九州鉄道の社長やった高橋新吉は全面的に信頼してまかせた。

 会社から住吉神社の裏あたり(博多駅から久留米への鉄道線路脇、そのご線路は移動した)に、洒落た二階建ての洋館ば建てて貰うて、汽車が迎えに来て、博多駅まで通勤しよったゲナ。

 とにもかくにも、ルムシュッテルさんのお陰で、明治22年12月11日、博多駅〜千歳川仮駅(久留米)間が開通した。片道1時間23分かけて、3往復の汽車が走り始めた。

 なんで久留米まで行かずに筑後川の手前までで開業したかていうと、その年の7月に集中豪雨があって筑後川の橋梁工事が遅れてしもうたとと、金が続かんごとなって、銀行からの借金に手間取りよったけんやった。
 そやケン、川の手前に千歳川ていう仮駅ばつくってなんとか開業にこぎつけたていう訳タイ。
 (この橋梁工事に使われた鉄橋は、そのご菊池川に行って鹿本鉄道で頑張り、いまは鹿本町の「水辺プラザ」に保存されとる。「ふる里駅」の観光案内所「九州遺産・鹿本鉄橋」参照)

 いま筑紫野市に残る城山三連橋はその当初の橋梁ていう訳タイ。勿論、設計して作ったとはルムシュッテル。レンガなどの資材もすべてドイツから取り寄せて建設したとゲナ。

 城山三連橋は、橋長24.5m、径間5.5m。高さ5m。形式としては、3連の煉瓦積みアーチ橋で、平成9年5月29日に「旧九州鉄道城山三連橋梁」として国の登録文化財に指定された。九州では最も早い時期に作られた煉瓦造橋梁として貴重な価値が認められとる。

 橋梁の北側は仮塚峠になっとって、当時ここは水平方向1000mにつき22.5m上がる急勾配やったケン、重い貨車ば引く機関車があえぎながら坂を上がっとったらしい。ときには上がりきらんごとなって、かなり後方までいったん下がり、石炭くべて勢いばつけ直して上がっとったていう難所やった。

 こんとき敷いた線がいまの鹿児島本線で、筑紫のこのあたりは、大正9年6月の複線化の際に仮塚峠ば避けて、この橋の約200m東側へ(下右の写真)移したケン、かつて鉄道が走った三連橋の上は、現在、市道として使われとる。(下左の写真)

 この市道は鳥栖バイバス
(県道17号線・下左の写真の左に車が連なって走りよる)と並行しとるバッテン、どっちの道路上からも三連橋はまったく見えケン、上ば通っとっても、知らんもんは気づきにくい文化財タイ。

 2007年6月。この文化財にペンキで落書きした不心得もんがおる。(右の写真2枚)

 岸壁やらカベの落書きは多かもんバッテン、文化財のドイツの煉瓦にしたやつは「どこのドイツ」か。

 どうせ悪ガキの仕業やろうバッテン、タチが悪か。まあだ捕まっとらんバッテン、つかまえたらクラシてやらないかん。

 知らずに取材しに行ってがっかりタイ。落書きば避けて写真撮るとに苦労した。

 9月20日の新聞で、筑紫野市と朝倉市の才田組とNPO文化財保存ネットワークにより、落書きが消されたと知って、撮り直しに行ったところが、今の技術は凄いねえ。

 完全に除去されとって、元の姿にもどっとったケン、またびっくりタイ。


 
右の写真は落書きされとったときのもの。文化財は大事にせないかんバイ。

 城山三連橋の東200mを、現在の鹿児島本線がひっきりなしに走る。

 場所・筑紫野市。 福岡市から、鳥栖筑紫野道路(タダ)を南下。城山出口で下りたら左折・左折。丁度今来た道にそって後戻る格好になる。これが、むかし九州鉄道が走りよった道で、500mも行けば三連橋の上。  取材日 2007.10.18

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