SLは走らんでもアメリカンアーチの美しか
「鉄道遺跡」の目次へ
|
| |
|
第一球磨川橋梁
肥薩線は八代から人吉まで、喧嘩しても別れられん夫婦のごと、ずっと球磨川に寄り添うて走る。そしてクサ、2回も橋ば渡って、左岸に行ったり、右岸ば走ったりする。
第一球磨川橋梁は、八代ば出て一番目の鉄橋。
鎌瀬ていうくらいやケン、鎌のごと球磨川はここで、大きゅう蛇行しとる。
右岸ば走ってきた肥薩線は、鎌瀬の駅ば出たらすぐに鉄橋ば渡って、あとはずっと左岸ば遡っていく。
明治41年(1908)に架けられたとやケン、この橋はもう来年で100才。しかもまあーだバリバリ現役ていうけん恐れ入る。
その当時、九州の鉄道はドイツにおんぶされとったとバッテン、なしかこの鉄橋だけは鉄道省がアメリカに発注しとる。
設計したとは、アメリカ人技師のクーパーとシュナイダー。船ではるばる運んできて架けたとは、アメリカン・ブリッジ社。そやけん橋の鉄骨に
「1906 AMERICAN BRIDGE Co. NEWYORK U.S.A」て彫り込んだとの残っとる。
|
| 当時の製鋼技術がまだ幼稚かったケン、トラスの節点はピン結合で、現在ではもう珍しかとらしか。
複数の小断面部材ば組み合わせて1本の部材が作られとるとば見ると、時の、技術の経過ば感じさせる。
でも、100年経ってビクともせんとやから、ダサイけど今の技術より上やったとかもしれん。
正式には、二連のピン結合方式トラス橋ていうとゲナ。トラスていうとは、鉄骨の構造が三角形ば基本に組まれとるとタイ。
|
| しかもここんとは、トランケート(切り詰め)式ていわれ、川に対して直角じやなかと。60度も斜めに川ば渡っとるとバイ。
球磨川の流れに逆らわんごと、橋台部が煉瓦、橋脚部は切石積みで合理的になっとる。全長は205mで線路は単線。
そしてなにより、いつ、どっから見たつちゃ美しか。蒸気機関車が走らんゴトなっても、この構造物は川面に映えて毅然としとる。 |
第二球磨川橋梁
人吉からみっつ手前の那良口の先で、球磨川ば渡っとる第二球磨川橋梁も、第一と全く同じ設計者で、施行したともおんなじアメリカンブリッジやった。
このタイプの橋は日本全部で、5橋7連しか架けられとらんでクサ、いま残っとるとは球磨川のふたつだけ。
設計加重は98トンの機関車2台と、30cm当たり1.5トンが乗っても大丈夫ゲナ。
ともに文化財に指定されとうとが、当たり前ちゃ当たり前のことやねぇ。
引退した「あそBoy」ば、J R 九州が2009年8月までには「人吉号」として復活させるげなケン、そん時にはSLが球磨川の鉄橋ば渡るとがまた見られるタイ。
球磨川に残る明治の鉄道遺産ば見に出かけてもうやなかね。 |
渡駅ば発車した上り八代行きの貨物列車が、第二橋梁にさしかかった。このあたり「那良の瀬」いう急流タイ。 肥薩線に蒸気機関車が走りよった頃 33年前、あと1年で蒸気機関車は廃止ていう頃、第一橋梁ば渡る朝の通勤列車。引っぱりよるとはC57やった。球磨川特有の川霧が漂う。 |
場所・第一球磨川橋梁は、鎌瀬と瀬戸石の間。八代~人吉間の国道219号線から見える。第二はさらに上流の那良口と渡の間にあって、これも国道から見ることが出来る。渡駅の手前から右折して、相良橋を渡れば、鉄橋のすぐ側にいける。
取材日 2007.3.25 SL写真は1972年の撮影 |
「鉄道遺跡」の目次へ
| |