明治時代には、唐津炭田・佐賀炭田の石炭ば、松浦川の川舟で運びよったとバッテン、間尺に合わんごとなって「汽車の線路ば敷こうや」ていうことになった。
唐津興業鉄道会社いうとば立ち上げて、明治31年にまず妙見駅から山本駅まで開通させた。妙見駅いうとは、いまの西唐津駅タイ。
その辺の石炭ば輸送はじめたら、なかなかサバケて調子の良かもんやケン、厳木・多久あたりの石炭も運ぼうて、明治32年の6月には厳木。同じ年の12月には多久まで線路ば延ばしていった。
その時にでけたとが、この厳木駅(きゅうらぎ)で、開業は明治32年(1899)
これで厳木の石炭は船から鉄道に変わり、みかん・砥石・木材なども輸送が便利になった。バッテン、鉄道会社の経営は苦しゅうてクサ、明治35年(1902)とうとう九州鉄道に吸収合併されてしもうた。
九州鉄道はその翌年には、すでに施設しとった自分とこの長崎線・久保田まで延ばして、唐津〜佐賀が汽車で行き来できるごとしたっタイ。
上・唐津側から見た駅の全景 右・どーんと頑張っとる明治の頑固
下左・駅舎は昭和5年(1930)にでけた木造で築80年近い。駅の事務室やったスペースは改築して「ふれあい文庫」兼ミニミニ美術館になっとった。
下右・駅名標にもみかんの絵
頑張って九州に線路ば延ばしていった九鉄やったバッテン、明治40年(1907)になったら、強引に国有化されて、駅は国鉄の厳木駅てなったていう訳。
経営主体がどげん代わろうと、厳木の貨物輸送は活発で、昭和40年なんかは、ミカンの取扱量が輸送量全体のの9割ば占めとったゲナ。
日本全国放漫経営で赤字だらけの国鉄も、昭和62年(1987)分割民営化が進んでクサ、儲からん路線はやめていったとバッテン、なぜか唐津線は生き残って、いまもJR九州が引き継いで運行しよる。
昭和48年(1973)10月1日で唐津線から蒸気機関車はなくなったバッテン、それまでの70年間はここも蒸気機関車の天下やった。
駅長が「間もなくのうなるバイ」いうて蒸気機関車ば撮しよっ頃は、キューロクがご老体にムチ打って走りよった。
唐津から走ってきた蒸気機関車は、こっから多久へ向けて峠越えがあったケン、この駅で水ば腹一杯飲んで出発して行きよった。
その給水塔がいまでも、奇跡的に残っとる。このレンガ造りの建物は、正式名称が機関車給水柱(竪管式B型)で、鉄板ででけた給水槽には、約13.5立方米の水ば溜めることがでけた。
蒸気機関車はディーゼルに代わったけど「これは唐津線のモニュメントとして残そうや」いうことになって、平成14年に厳木町政50周年ば記念して、駅の構内に小公園と給水塔の記念碑ば作り、桜の木も植えて保存されたとよ。
給水塔はでけてからすると、もう100年以上経っとるとバッテン、保存状態はヨカ。
駅は相対式2面2線のホームがある地上駅で、 跨線橋がある。むかしは給水塔のとこに側線があって、ちょっとした機関区になっとったとかも知れん。
1日平均の乗車人員は、2005年度で468人やったゲナ。近くに県立厳木高校があるケン学生中心のごたる。
また、高校生がボランティア活動で駅の清掃活動ばしよるらしく、きれいにしとった。
上・使われんごとなった赤煉瓦の塔の横ば、いまは水ば飲まんでよか気動車が今日も走っていく。
上・跨線橋から見た給水塔とポンプで水を上げよったその内部
右・明治から何人が出入りしたろか、石の敷居がすり減っとる
宣化天皇2年(537)、朝廷の命で新羅に出征するため唐津に来とった大伴狭手彦(おおとものさでひこ)と、厳木・篠原長者の娘佐用姫(さよひめ)が恋仲になったとバッテン、狭手彦が出征のため別れる日がきてしもうた。
佐用姫は、鏡山のテッペンから領巾(ひれ)ば振って見送っとったとやが、別れに耐えられんごとなってクサ、船ば追うて鏡山から松浦川ば跳び越え、呼子・加部島の天童山まで跳んで跳んで追いかけ、ここでも領巾振ったとバッテン、とうとう船は見えんごとなってしもうた。(写真右上)
悲しんだ姫は、七日七晩泣きはらした末に石になってしまいなったとゲナ。
万葉集にも、この伝説に因んで詠まれた和歌が収録されとるていうケン、ほんなことかも知れん。
「海原の沖行く船を帰れとか 領巾振らしけむ松浦(まつら)佐用姫 」
唐津市の鏡山は、佐用姫さんが領巾ば振って見送んなったケン、領巾振山(ひれふりやま)ていう別名がついとる。また唐津市松浦川の側の和多田には、佐用姫さんが鏡山から跳び降りたときに足ばついたていう岩があってクサ、岩の上に足跡のようなくぼみがついとる。これは駅長が物好きにも、じっさいに行って確認済み。(写真下)
鏡山の山頂には佐用姫の銅像が、また「道の駅きゅうらぎ」には、高さ十数メートルの佐用姫さんの像がある。この佐用姫さんは、いつも時計回りに回転しとって、20分ほどで1回転。厳木の町ば見渡しとんなる。(写真上中央)
加部島にある田島神社の境内には、佐與姫神社いうとがあって、泣いて石になったていう佐用姫さんが石になったまま祀られとんなる。厳木から八幡岳へ登っていく途中の、瀬戸木場ていうとこには、佐用姫さんの誕生地ていわれとる場所があって石碑と説明板がちゃんとある。(写真上左)