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石炭に裏切られた明治の先見性                       「鉄道遺跡」の目次へ

 平成筑豊鉄道田川線の、内田の駅から源じいの森の方へ200mほど行くと内田の三連橋梁がある。

 地元の人は三連橋梁なんてややこしいことは云わんでクサ「みつあんきょ」て呼びよんなる。

 三つ並んだ暗渠やケン「みつあんきょ」タイ。

 分かりやすかバッテン、むかしの百姓さんが、暗渠なんていう
土木用語ばよう知っとんなったもんタイ

 なんせ、でけたとは明治28(1895)年。

 当時の豊州鉄道が、筑豊の石炭ば行橋へ運び出すために作った田川線の立体交差やったいう訳。三連アーチ橋の真ん中には、川が流れ両側には畑へ行く道と車道が通っとる。

 上流側は、きちんとした切石造りで、水圧ば受けても強かごと考えた工事になっとる。















 総切石張りていうとは珍しかとゲナ。中は下半分が切石張りで、上部は煉瓦の「長手積み」ていう工法が使われとる。 長手積みていうとは、煉瓦の長い面ばっかりば表に向け、半分ズラして並べる積み方タイ。

 平成11年に文部科学省の「登録有形文化財」に指定された。
 また九州の土木建築遺産としても、Aランク近代土木遺産にチャンと登録されとんなる。




 橋の下流側は、イギリス式の煉瓦積みバッテン、下駄の歯のごと一列置きにデコボコになっとる。
イギリス積みていう積み方は、一列目ば長辺ばっかりで並べたら、二列目は短辺ば表に向けて並べる積みかたタイ。

 これで交互に積んでいくと強かとゲナ。下駄の歯のごと、一列置きに飛び出しとうとは、複線化したときには下流側に橋ば継ぐつもりやったっちゃなかろうか。

 そげん考えるとは「源じいの森」にある九州でいちばん古か石坂トンネルが、初めから複線の巾ででけとるけんタイ。

 石炭の増産で運搬が間に合わんごとなったら、田川線は複線化するつもりやったとやろう。そうならんうちに石炭が斜陽化してしもうて、人間の客だけでは国鉄もギブアップしたとがいまの田川線タイ。

 あとから広げるときの事まで考えて、下駄の歯状に仕上げたなんて、例えそれがでけんやったにしても、考え方は素晴らしかタイ。デザイン的にも面白かし、下の切石まで下駄の歯になっとるとが徹底しとる。

 さすが「明治頑固」の技術バイ。

J R からあとば引き継いだ平成筑豊鉄道が1両で走り去った 。

技術的な先の見通しはよかったとバッテン
石炭のほうが思うゴトならんやった。

田圃の中にポツンとある内田駅。1日何人が乗り降りするっちゃろか。心配してやろうごたる。

駅長のお薦め 
 源じいの森には温泉も出とるし、五つ先の犀川駅は、駅舎がサイの形で角が生えとったり、田川線は面白か。

 場所・福岡県赤村。香春の唐子橋から201号線ばちょこっと走って柿下温泉の方へ左折する。柿下温泉口で線路と並行して南下すれば3kmで、右に内田の駅。そのまま1kmも直進したら案内板があるケン、右折。 取材日 2007.05.03

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