このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 九州一古か鉄道の鉄橋が現役で残っとる       「鉄道遺跡」の目次へ

 西鉄宮地岳線は、始発の貝塚ば出たら、すぐに多々良川ば鉄橋で越す。

 多々良川いうたら、南北朝時代、足利尊氏(たかうじ)が九州に逃げてきたとき、わずか500人足らずで南朝側の菊池武敏4万の大軍と戦うたとこタイ。

 こんときは多々良の浜に、東北の突風が吹いて砂塵が舞い上がり、西に布陣しとった菊池軍は目も開けられず、たったの500騎の尊氏軍に、ひちゃがゃやられてしもうた。

 尊氏軍は手のひら返したごと元気になって総攻撃。

 さらに菊池側についとった松浦水軍の寝返りもあってクサ、大勝利タイ。菊池軍は敗走。この勝利が室町幕府のでけるキッカケになった古戦場バイ。 

 この多々良川に架かる鉄橋が、
大正12年(1922)竣工の西鉄宮地岳線・名島川橋梁。A級近代土木遺産に推薦され、文化財にも指定されとるバッテン、なし、多々良川に架かっとって名島川橋梁かは分からん。

 ひょっとすると、上流に架かるJRの鉄橋が多々良川橋梁やケン、同じ名前ば避けたとやろう。

 ま、そげなこまぁかこたあよかタイ。大正期に建設された橋梁で、アーチのスパンこそ小さかもんの、16連で全体の長さが210mもある橋梁は他にはなかと。いちばん古うていちばん長か橋。九州ではここだけて威張られる橋バイ。

 正確には、橋長が211.8mで、アーチの径間が12mのRCアーチ橋。

 RCいうたら、なんかいなていうと、鉄筋コンクリート橋のこっタイ。

 なんせ、多々良川の河口付近は、下流から「香椎かもめ大橋」「福岡都市高速」、国道3号線の「名島橋」、いまはもうあんまり使いよらん「博多臨港線」の鉄橋と橋だらけタイ。

 
湾鉄(わんてつ・博多湾鉄道汽船)がこの鉄橋ば作った当時は、湾鉄の名島鉄橋いうて蒸気機関車が走りよったゲナ。

 この湾鉄は、昭和17年(1942) 戦時体制に対応するために九州電気軌道に合併して、今の西日本鉄道になっていった。

 アーチの上部に施されたアーチば強調する突起や、スパンドレルていう窓の部分につけた三角飾りなどは、大正時代らしか洒落たデザインて云われとる。

 設計者は建築でも著名やった安部美樹志さん。明治16年(1883)、岩手県一関に生まれ、札幌農学校土木工学科出身で「日本における鉄筋コンクリート工学の開祖」て、までいわれた工学博士さんタイ。

 明治44年(1911)にアメリカのイリノイ大学で、学位ば取ってから、帰国して日本初の鉄筋コンクリート高架鉄道ば東京に完成させとんなると。関東大震災でも、安倍さんが設計した建築物に、ひとつも被害が出らんやったていう伝説の人タイ。

 隣の名島橋も古かA級近代土木遺産の橋やケン、国道と鉄道、二つのレトロな橋が仲よう並んで架かとるさまは、とても珍しか光景バイ。間で邪魔しとるJR博多臨港線の鉄橋ば、どけてしまえば観光資源にでもなるといねぇ。




 
大正生まれの鉄橋は今年でもう85才になる。16連のアーチは貫禄充分。遠くに見えとるとは立花山。

 
名島川橋梁の向こうに見える青かとが、博多臨港線の生き残り鉄橋、これがなければ、名島橋が見えるし、名島橋からも名島川橋梁がよう見える。この臨港線(香椎駅〜福岡貨物ターミナル駅)、いまはめったくそに走りよらん。

 場所・福岡市・東区。国道3号線名島橋の上流に並んで架かっとる。貝塚駅から歩いて5分。 取材日2007.3.28
「鉄道遺跡」の目次へ

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください