このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

白川に架かる日本で初めてのアーチ橋       「鉄道遺跡」の目次へ
 


 いま南阿蘇鉄道のトロッコ列車「ゆうすげ号」は、上りの立野行きの場合、左の戸下トンネル(903m)ば出たとたん、この鉄橋にかかる。車内は子供達の歓声に包まれる。ゆっくりと徐行した列車は、満足の声ば吸い込むごと、またすぐ右の犀角山トンネル(124m)に入っていく。終点の立野はもう近か。




















 橋について紹介しまっしょう。名称は
第一白川橋梁て呼んどります。長さは166.3m、水面から高さはなんと62m。15〜17階建てのビルぐらいていうケン、天神のビルでいうたらアクロスと同じくらいタイ。本四連絡橋・瀬戸大橋の高さも凌いどるていうケン、たいしたもんじゃなかね。

 日本で最初に架けられた鉄道用の鋼鉄アーチ橋で、正式には2ヒンジ・バランスドアーチ橋ていうとゲナ。土木用語はいっちょん分からんバッテン、ヒンジいうとは蝶番(ちょうつがい)のことで、蝶番の原理ば壁面の支点に使うことで、壁面にかかる負担ば少なくでけるとゲナ。

 バランスドアーチていうとは、作るときに橋脚から両側へ、または壁面から真ん中へ向けて、橋桁ばせり出していって、真ん中で結合する施行方法ゲナ。張り出し工法と呼ばれるもので、この工法で作られた日本で初めての橋げなバイ。

 むかしの石工たちも、このやり方で石橋ば造りよったとやろうケン、近代技術いうても昔のマネばしようだけタイ。石工にはバランスドアーチなんていう言葉はなかバッテンねぇ。

 設計は、立野橋梁と同じ鉄道省大臣官房研究所。

 工事は両側の谷の斜面に組まれた足場上で架設し、その後、中央部は足場なしで、両側から釣り竿ば伸ばすように跳ね出していき、中央で合せたと。

 桁の総鋼重647トン。使用リベット数約39,986本、総工費282,520円やった。施工は鉄道省の直轄で、鋼材は八幡製鐵所で作って運んだていう。

 いまでいえば、たったの28万円バッテン、金の価値が違うとったケン、戦前に行われた熊本の土木工事ば代表する規模と内容やったていえば、大事業やったとが分かる。

 地形が険うて困難な工事ていうことは、初めから分かっとったバッテン、この路線が九州横断線のひとつとして計画されとった理由もあって、最新の土木技術と巨費ば投じて建設されたっタイ。

 第一白川橋梁の完成は昭和3年(1928)。同年2月12日には高森線が開業した。

 高森線が好きで、蒸気機関車がすきで、白川鉄橋が好きで、2年間よう通うたもんですバイ。
 もうその頃は、運行回数が減っとって、蒸気機関車は1日4往復ぐらいしかなかった。
 鉄橋の下の戸下温泉から河原に下りて、下が撮ったり、トンネルの上まで這い上がって撮ったり、列車の来よらんときに、鉄橋の犬走りば走り渡って撮ったり。
 バッテン、何十枚撮ってもなかなか気に入るショットはなかったとは、やっぱあこの橋が難所やったけんやろう。
 そのなかで、とっておきの1枚が下の写真ですと。

高森線白川鉄橋

 場所・熊本県南阿蘇村立野。

 立野橋梁へ国道57号線ば登ってきたら、立野駅への案内標識から、約500m先で右折。地図に青で示した地方道ばたどっていくと、第一白川橋梁の見えるポイントがある。

 この地方道は、直進すれば高森への国道326号に出ることができる。

 なお、決して広か道やなかケン、通行には注意が必要。

 取材日 2006年8月 SLの写真は1971〜1972年の撮影。

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