むかし、木で作りよった橋ば、鉄骨にしたらこうなるやろう、て、いう形式の橋脚ばクサ、知ったかぶりしていうと、トレッスル橋ていうとタイ。橋の形式としてはいちばん古かろう。斜交いも入れてあって、なんか懐かしかやなかね。
一見華奢な3本の橋脚が深か谷で踏ん張ってクサ、136mもある線路の橋桁ば、支えとる。いちばん高っか脚は34mもあるとゲナ。トレッスル橋いうたら、山陰の餘部鉄橋が有名バッテン、あれはアメリカン・ブリッジからの輸入品。
立野橋梁は日本で(鉄道省大臣官房研究所)で設計して、鋼材は八幡製鉄所。九州派のふる里駅長としては「こっちは純国産ぜぇ」て威張りたか。勿論、九州でここだけタイ。
そうそう。この橋がどこにあるかていうと、阿蘇外輪山の立野火口瀬。南阿蘇鉄道の立野駅ば出て500m。白川の支流と、黒川第一発電所の鉄管の上ば股ごしとる。真正面には天然記念物の阿蘇北向谷原始林が美しか。
でけたとは昭和3年(1928)。高さが30m越す鉄橋は当時としては難工事やったらしか。
なんで、こげな形式にしたかていえば、地形が複雑やったケン、材料ばバラして持ち運べるごと考えたとがひとつと、立野火口瀬は風が強か場所やケン、細か骨組みのほうが風の影響ば受けにっかけんタイ。
餘部鉄橋は今度くずす(共通語では壊す)げなバッテン、こっちは80年経ったっちゃ、まあだシャンシャンしとる。
立野橋梁から1kmばかりいって、トンネルば越したらすぐ第一白川橋梁ていうとがあって、このアーチ橋ば作るとき、建設資材延べ600トンは、この立野橋梁ば使うて運んだていわれとる。
もともと、この南阿蘇鉄道は大正10年(1921)に、立野と宮崎県の延岡ば結ぶ九州中部横断鉄道として国で計画されたとタイ。大正12年に着工して、昭和3年高森までが国鉄高森線として開通した。
高森から先さい延ばそうてトンネルば掘りよったら、地下の大水脈にぶっつかって、毎分36トンの水があふれ出し、高森の町は断水するやら、おおごとになった。
今考えれば、そんくらいのことぁ「事前測量で分かっとったろうもん」て思うバッテン、社保庁といっしょで国のするこたあ、むかしからオーマン(粗雑・いい加減)かったとねえ。
そのため九州中部横断鉄道ばオシャカ。延岡から高千穂までの日之影線ば、高森さい延ばしよった工事も中止。そのまま廃線跡になってしもうた。水の出たトンネルは、その後高森町が「湧水トンネル公園」にしてクサ、チャッカリ観光資源にしとる。
高森線のほうは、立野・高森間17km。途中の駅「長陽・阿蘇下田・中松・阿蘇白川」で、小さな蒸気機関車C12が走る盲腸線で運行しよったバッテン、車が普及して乗客減。とうとう国鉄が投げ出し、昭和59年(1984)から三セク南阿蘇鉄道になっとうとタイ。
蒸気機関車は昭和49年(1974)で終わり、ディーゼル化された。南阿蘇鉄道になってからは、平日はレールバスだけやけど、休日にはトロッコ列車ば走らせて人気がある。
鉄橋の上では、徐行したりしてくれて、子供達は大喜びしとる。
途中の駅も増えて
立野駅
長陽駅
加勢駅
阿蘇下田城ふれあい温泉駅
南阿蘇水の生まれる里白水高原駅
中松
阿蘇白川
見晴台
高森駅
中にはユニークな名前の駅やら、温泉に入られる駅もあって話題になっとるっタイ。
「南阿蘇水の生まれる里白水高原」はクサ、それまで日本一長か駅名やっとば、2001年4月に、一畑電気鉄道・北松江線の古江駅が「ルイス・C.ティファニー庭園美術館前駅」に改称しなったもんやケン、日本一の座ば奪われて2番目になっとった。
ところが2007年3月に、この美術館が市とケンカして閉館してしもうた。
おかげで、駅名が「イングリッシュガーデン前駅」に変わったもんケン、「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」が、また日本一ば取り返しとうとタイ。
もっとも、鹿島臨海鉄道の大洗鹿島線に「長者ヶ浜潮騒はまなす公園前駅」ていう長かとのあって、どっちがどうちゃあ云えん。
ヒマのあったら、指折り数えてみんしゃい。
休日だけ出動するトロッコ列車「ゆうすげ号」と、普段走っとるレールバス。 |