このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

日之影の谷に新旧橋の競演         「鉄道遺跡」の目次へ
 鉄道遺構

 綱ノ瀬川橋梁(つなのせ)橋梁は、 日之影町と延岡市北方町の境ば流れる網の瀬川ば、跨いで架かっとる旧国鉄高千穂線の橋。

 RC開腹アーチ形式で全長は417.8m。最大スパン47.8m。

 昭和12年(1937)に開通した。
鉄道省の直轄事業で、 総指揮は熊本建設事務所の釘宮 磐さん。設計は吉田朝次郎さん。

 戦前の鉄道用RCアーチ橋では最大スパン(橋脚と橋脚の間)ば持っとると同時に、五ヶ瀬川に沿うてアーチ橋が、大小43基連続しとる景観は凄い。


 当時、鉄筋コンクリートアーチ橋は、施工のしやすさと、工費が軽減できるため採用され、綱ノ瀬川橋梁完成後は、土木関係の技術者たちが大勢見学に来よったゲナ。もう70年も昔の話タイ。

 それにしてもよう保っとるねえ。
 鉄道は国鉄から、三セクの高千穂鉄道に移管されたが、平成15年3月に登場したトロッコ神楽号は、車両の正面に神楽をイメージした小さな面ばつけて、この橋ばゆっくりゆっくり走りよった。

 休日には観光客でいっぱいやったとバッテン、平成17年の台風14号でクサ、川水流〜上崎間、亀ヶ崎〜槙峰間の鉄橋ばすっぽり流されてしもうて、いまは全区間不通になっとる。

 宮崎の橋101選にも選ばれとう鉄道橋の壮大なモニュメントが、このまま放置され引退とは惜しか。
 

 
網ノ瀬川に架かる網ノ瀬橋梁。手前が五ヶ瀬川。

 網の瀬川いうとは、五ヶ瀬川の大きな支流でクサ、祖母傾国定公園の鹿納山(1548m)、大崩山(1643m)から流れる沢の水ば集め、鹿川渓谷から比叡山と矢筈岳の間ば縫うて流れ下る。
 そして、網ノ瀬橋梁ばくぐったらすぐ五ヶ瀬川に合流しとる。丁度川が日之影町と北方町の境界になっとると。

 この橋の上には、国道218号線の
「槇峰大橋」が、天ば跨ぐごとして架かっとる。こっちはアーチはアーチでも、上路式スパンドレルブレースドアーチ橋いうて、橋の長さが330m、水面からの高さが115m、でけたばっかり。現役バリバリの近代的な橋タイ。 歴史のある綱ノ瀬川橋梁は見下ろされとる。

 また、近くには高千穂鉄道の日向八戸(ひゅうがやと)、槙峰(まきみね)ていう駅があったとバッテン、いまは汽車の来ん駅になってしもうとる。



 
綱ノ瀬川橋梁から上流の神影には、五ヶ瀬川の右岸に上の写真のごたあアーチ橋が連続して架かっとる。つながったひとつの橋かと思うて日之影町役場に聞いてみたら、第1小崎橋梁、第2小崎橋梁の2つの橋梁ていうことが分かった。
 ここの景色も綱ノ瀬川橋梁に負けんゴト凄か。

 対岸から川越しに3枚撮って継ながんと入らんくらいに長々と続いとった。それにしても旧国鉄の技術陣は、五ヶ瀬川沿いでは凄いサーカスみたいなことばやつとったもんタイ。バッテン、大局的に考えれば、こげなむづかしか川沿いに線路ば敷かんでクサ、もっと高かとこばなし通さんやったっちゃろうか。

 それとも、やっぱあ当時の技術では、天に架けるような橋は作りきらんやつたっちゃろうか。いま、国道218号線は日之影町と北方町だけでも「橋の展示場」のごと、いろんな橋が楽しませてくれとるといねえ。

 
雲海橋(199m)〜波瀬大橋(310m)〜青雲橋(410m)〜上顔橋(190m)〜下顔橋(169.7m)〜観音滝橋(168m)〜
  槇峰大橋(330m)〜干支大橋(385m)〜天馬大橋(320m)


 水害で再起不能のダメージば受けた三セクの高千穂鉄道は、せめて日之影〜高千穂間でも運行再開しようて、頑張っとんなあバッテン、行政が手ば引いたら、なかなか再開はむずかしかごたる。

 仮に日之影〜高千穂間が動いても、もうこの綱ノ瀬川橋梁ば列車が走ることはなか。
 ただ、鉄道遺産として朽ちていくとば、見とるだけていうとは辛か。

高千穂鉄道の19駅名

高千穂(たかちほ)〜天岩戸(あまのいわと)〜深 角(ふかすみ)〜影 待(かげまち)〜日之影温泉(ひのかげおんせん)〜吾 味(ごみ)〜日向八戸(ひゅうがやと)〜槇 峰(まきみね)〜亀ヶ崎(かめがさき)〜早日渡(はやひと)〜上 崎(かみさき)〜川水流(かわずる)〜曽 木(そき)〜吐 合(はきあい)〜日向岡元(ひゅうがおかもと)〜細 見(ほそみ)〜行 縢(むかばき)〜西延岡(にしのべおか)〜延 岡(のべおか)

 場所・宮崎県日之影町/延岡市北方町。高千穂から国道218号線ば東へ。上に書いた雲海橋から観音滝橋までば渡って、槙峰大橋の手前で鹿川渓谷の案内標識で右折。下っていって槇峰駅の先で右折したら橋の上から見れる。延岡からやったら、槇峰大橋ば渡ってから案内板で左折して下る。                  取材日 2007.4.9

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     2009年12月15日に「深角駅の読み方、高千穂鉄道の駅の数の間違い」について、ご指摘頂いた方のメールを
      駅長が間違うて消してしまいました。お礼とお詫びをいたします。

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