このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

肥薩線でいちばん標高の高っか矢岳駅の駅長官舎    「鉄道遺跡」の目次へ
 登録有形文化財  

 熊本県と宮崎県との県境近くのJR肥薩線矢岳駅。

 その西方約110mのとこに旧矢岳駅長の官舎がある。

 明治42年(1909)に建設された木造平屋建、瓦葺、建築面積84平方米の切妻造りで,外壁は簓子下見板張になっとる。
 
 簓子下見板張(ささらこ したみいたばり)いうとは、建物の外壁に長か板ば横に使うて、板の下端がその下の板の上端に少し重なるごと張ること。

 桁行4間半,梁間3間半の東面に,桁行2間分台所部分ば張り出しとる。全国的でも残っとる例が少なか明治期の鉄道官舎建築のひとつで登録有形文化財。

 もの好きが見に行ったバッテン、手入れはあんまりようなか。ていうかほったらかし。

 もちろん人は住んどらんバッテン、塾かなんかに使いよるような形跡があった。

 官舎主屋の東側に井戸が残っとって、官舎といっしょにでけたモノらしく、なんとこれも2003年に有形文化財として登録されとると。

 溶結凝灰岩(ようけつぎょうかいがん)の四角な切石ば使い,内径が1.1m,深さ約4.5mの規模で作られ,いまでも利用されとるていう。

 溶結凝灰岩いうたら、火山の噴火によって空中に放出された噴出物が地上に落ちた後、圧縮されてできた凝灰岩の一種やケン、30万年前の阿蘇大噴火で飛んできたものやろう。

 僻地に建設された鉄道駅長官舎の110年も前の生活状況ば、想像してみることがでける。




上から順に、官舎の玄関門柱。玄関。裏庭とそこにある井戸。

 なんでこげな山ん中に線路ば敷いたとか ? 不思議に思うやろうバッテン、明治政府は国防上わざと海岸から離れた山の中に線路ばひいて鹿児島まで通した。ここなら海から敵が来たっちゃ心配無かけんタイ。

 これで日本は北海道から、鹿児島までが一本に繋がったとよ。そやけん当時は、肥薩線ば鹿児島線ていうたと。
 むかしの幹線もいまはすっかり時代から取り残され、列車は朝夕2本づつと、昼間は2本だけが矢岳駅ば通る。

 昼間の2本は各駅停車の観光列車で、名前は下りが
「いさぶろう号」上りが「しんぺい号」
 なんで「いさぶろう・しんぺい」か、ていうとは、このさき読んだら分かる。

 観光列車は人吉〜大畑〜矢岳〜真幸〜吉松ば、1時間以上かけてゆっくりと山越えにかかる。矢岳駅に着いたら10分停車して、ホームの端にある
「人吉市SL展示館」でデゴイチば見せてくれる。

 30年前まで、ここ「矢岳越え」に頑張っとつたデゴイチ蒸気機関車ば人吉市が大切に保存しとると。
 初めいっしよにハチロク型もおったとバッテン、JR九州が「SLあそBoy」ば運行するごとなったとき、返してくれていわれて、現役復帰したもんやケン、いまはD51170が1台で寂しか。

 官舎からまぁーすぐ100m行くと矢岳駅(やたけえき)に突き当たるケン、通勤には便利やったろう。
 矢岳駅は肥薩線の山線て呼ばれる険しか区間にある駅のひとつで、肥薩線で最も高い標高約536.9mにある。

 詳しくは
24番線の「秘境駅・矢岳」で見てもらいたかバッテン、簡単にいうと<、単式ホーム1面1線のみの無人駅で、汲み取り式便所がある。

 駅はむかしのまま。
 あとで取り替えられたらしか天井のシャンデリアも、レトロな感じで駅の雰囲気に合うとる。古かバッテン、地元の人達が手入れしとんしゃあとやろう、こざっぱりしとる。

 矢岳駅から少し南側の踏切付近に熊本県と宮崎県の県境があり、そのすぐ南側に矢岳第一トンネルがある。全長は2,096.17mもある

 肥薩山線の工事で建設されたこのトンネルはたいへんな難工事で、多数の犠牲者ば出しとる。なお いらんことバッテン、矢岳第一トンネルの総工費は73万6千円やったゲナ。いまやったらいくらかかるか見当もつかん。

 観光列車「いさぶろう・しんぺい」の名前の由来となった当時の逓信大臣・山縣伊三郎と、鉄道院総裁・後藤新平が書いた扁額「天険若夷」(てんけんじゃくい)と「引重致遠」(いんじゅうちえん)は、このトンネルの難工事ば物語っとる。

 その意味は、「天険、夷(い)の若(ごと)し(天下の険しか難所ば平地のようにした)」・「重きば引きいて遠きに致(ち)す(重い物ば引いて遠くへ至ることが出来る)」ていうこっタイ。

 矢岳第一トンネルば抜けて矢岳第二トンネルとの間は日本三大車窓のひとつ「霧島連山とえびの高原」の絶景ば望むことがでける。「いさぶろう・しんぺい」は一時停止して車窓からの景色ばみてもらうサービスばしよる。

↑矢岳第一トンネルの人吉がわの扁額は後藤新平の「天険若夷」 ↑その扁額がかかっとる人吉側の入口。
車で矢岳駅に行こうて思うたら、人吉から大口への268号線ば5kmほど走って、古仏頂ていうとこから山道に入る。
舗装はなんとかしてあるもんの、淋しか山道ば10kmほども登って行かなたどり着かん。
↑ 45年前の1972年3月2日 14時40分に駅長が撮った第一トンネルば出るデゴイチ。吉松からの矢岳越え。

→矢岳駅の入口は石の階段。
↓ホームはかなり長さがある。
↓↓人吉から大畑を越して観光列車「いさぶろう号」が入って来た。

 場所・熊本県人吉市矢岳町字葭ノ本。太宰府ICから九州自動車道ば南へ172キロ人吉ICで下りる。人吉駅前左折して球磨川の人吉橋ば渡り、大口へ行っとる国道267号線ば約5km走る。古仏頂から左折して山道にはいる。途中大畑(おこば)への分かれば右折して大野公民館ば通過、さらに山道ば肥薩線に沿うように6km。左手に矢岳駅が見えてくる。官舎は右折してすぐ。駅前ば直進300mで、県境の直ぐ先が踏切。そこから線路ば歩いて約50mに矢岳第一トンネルの入り口がある。          取材日 2006.8.8/2010.3.28/2013.5.7
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