このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
菜の花の筑後川 | |
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場所・久留米市・北野町 明治22年12月11日午前7時10分汽笛一声、九州で最初の汽車が博多駅を発車した。 行き先はは久留米だが、筑後川の鉄橋が間に合わず、しばらくは川の手前に千歳川仮停車場(今の小森野橋あたり)を作って走ったという。 | |
筑後川は昔から千歳川、筑間川、御境川など、さまざまな呼び名を持っていた。 「筑後川」という名前で呼ばれ始めたのは、江戸時代寛永年間あたりかららしい。 東の「坂東太郎」(利根川)に対し西の「筑紫次郎」と呼ばれている。 その源は阿蘇外輪山で、九重連山から流れてくる玖珠川と日田で合流して筑後、佐賀両平野を緩やかに流れ有明海に注ぐ。 | |
遠賀川もそうだが、春、筑後川の川土手は黄色一色に染まってしまう。 耳納連山の真ん中あたり、発心山や、香山観音のある杷木の高山から見下ろすと、大きな黄色の帯を干したように見える。 | |
明治29年から4年間、熊本の第五高等学校(現在の熊本大学)の教授として熊本で生活した夏目漱石は、明治30年3月、久留米に来て御井町から高良山に登り、今の耳納スカイラインを縦走した。 この時の体験が後に『草枕』の素材になったという。 | |
耳納スカイラインを車で走れば、漱石の五つの句碑を見ることができる。 菜の花の遥かに黄なり筑後川 | |
この時期、筑後川の河畔ならば、どこへ行っても菜の花だらけだから、お好きなようにと云いたいところだが、駅長のおすすめは・・ 北野町あたり。ちょっと早ければ、北野天満宮の梅もいい。 さあ、暖かくなったらカメラを手にして出かけよう。 | |
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