このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

東光寺五百羅漢
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場所・大分県宇佐市
       柳ケ浦


 田圃の中に、見ただけでホッとするような古いお寺がある。

 毘沙門さんが守っとんなる粗末な山門ばくぐって、本堂の前ば右に回り込むと、すまなさそうに拝観料100円ていう小さな看板があった。
 
 目の前の古墳みたいな丘の一面に、びっしりと羅漢さんがおらっしゃった。

 この寺の15代・玉峰道琳和尚が、干害に苦しむ農民ば見て、五百羅漢建立の悲願ばたてたて云われとる。

 日出(ひじ・速見郡日出町)の石工吉野覚兵衛に頼んで、安政6年 (1859年)から約23年がかりで完成させんしゃったとゲナ。
 538体の羅漢さん、ひとつとしておんなじ顔はなか。

 セメントで作った同んなじ顔の五百羅漢ていうとも、どっかの寺にあったバッテン、ここんとはそげなニセもんじゃなか。

 駅長もたいがいあっちこっちの五百羅漢ば見てきたバッテン、ここんとは本もんバイ。


 
 元来羅漢さんは異相で、美笑醜渋の四面相があるて云われとるバッテン、ここんとは一体一体が個性的な、よか顔ばしとんなる。

 それに、羅漢さんいうたら、男ばかり思うとったら、なんと尼さんもおらっしゃってクサ、なんとも優しか風景やった。

 ちょうど、夕陽が斜めに差し込んできて、ほのぼのとした雰囲気に包まれた。 
 羅漢さんのなかには、必ず自分に似た顔のあるて云われとる通り、あっああった。

 そしてまた、永江さんにそっくのやったり、「こらあ大井さんに瓜二つバイ」ていう顔もあったりして、いつまで見よっても飽きることのなか時間が過ぎていった。
「父の顔 さがす羅漢や
        せみしぐれ」

 ていう有名な句のあるごと、羅漢さんばポケーッと見よったら、身近な人々や懐かしか人ば思い出してしまう。

 この寺は、貞治元年(1362)に秀雲志禅師が臨済宗として開山、戦国の世で荒れ果てとったとば、17世紀半ばに星岸和尚が再興しんしゃったとゲナ。

 万治元年(1658)に曹洞宗に改宗、そして今に至っとると。
本尊は薬師如来さん。

 また本堂裏には、これも
覚兵衛の作て云われとる仏足石もある。

 北九州から国道10号線で宇佐市に入ったら、法鏡寺ていう信号ば左折。

 ちょつと行ったら右手に宇佐市役所があるケン、その前ば直進、約4Km。

 野球の強か柳ケ浦高校の北角ば右に折れたら、田圃の中に本堂の赤いトタン屋根が見えとる。

      (2006年6月取材)
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