綾の照葉大吊橋 |
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| 場所・宮崎県・綾町
古代、綾の地は「阿陀能奈珂椰(あだのなかや)」ていうた。
奈良時代の和銅6年(713)に元明天皇が「郷の名ば二文字して、美しか名前にしやい」て、全国に命じなったことで、頭と尻ば取って「阿椰(あや)」てした。
これが現在の「綾」になったとは、古文書によると鎌倉時代かららしか。
あわてもんが「あやや」こと松浦亜弥は綾町の生まれと思うとる。 |
| 橋の名は「綾の照葉大吊橋」で、正式には長経間2ヒンジ補剛吊橋ていう。
長さ250m 巾1.2m 高さ 142m 両端で支える鉄塔の高さ28m。
完成は1984年(昭和59年)3月で、100トンまでの重量に耐えられるごとでけとるとゲナ。
眼下に広がる照葉樹林が日本一。
歩いて渡る吊り橋としては河床からの高さが世界一ていうとが自慢タイ。
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| 日本の常緑広葉樹は葉があまり大きゅうならんで表皮が発達し、厚く光沢がある。そやケン、冬の寒さに比較的強か。
こげな常緑広葉樹は、熱帯のそれと区別して「照葉(てるは)」て呼び、広葉樹林のことば照葉樹林(しょうようじゅりん)て呼んどる。
この綾川渓谷の大規模照葉樹林は他には見られんすぐれた樹林ていう。
写真は大吊橋から見た樹林と、周回コースの「かじか吊橋」 |
| 1966年に国定公園「九州中央山地国定公園・綾地区」の指定ば受けた。
国定公園はここでもう最後やろうていわれとる。
綾町は自然ば大切にした町づくりばめざしとんなる。言いかた換えればそれだけ田舎ていうことタイ。
バッテン、田舎には田舎のよさがある。天候不順にもかかわらず、その田舎ば求めて観光客が来る。
休日にはもっと来るとやろう。 持ち込んだセブンイレブンのおにぎりも旨かったバッテン、とにかくこの田舎の空気が旨か。
橋の中程に何カ所か、145m下が覗けるごと床が抜かしてしてあって、背中から腰にかけてズーンッと快感が走る。
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| 町の中心部にミニチュアのような城がある。城というより櫓というた方がよか。
今からおよそ660年前の元弘年間(1331〜)足利尊氏の家臣・細川小四郎義門が居館として建てて地名の「綾」氏ば名乗ったていう。
その後島津のものになっとったけど、元和元年(1615)江戸幕府の一国一城制度によって廃城となった。
綿密な時代考証ばして、土地の人たちが綾杉ば使い1985年(昭和60)に再建しなったていう。よかお城やった。 |
| 福岡からやったら4時間はかかる。九州道ばえびのJCTから宮崎道に入る。
小林ICで下りて、小林市の中心部から、国道268号線ば宮崎へと東進。
野尻町ば抜けて高岡町の梁瀬トンネルの先、国道10号線と合流する赤谷の信号で左折、約6kmで綾町に着く。
綾町からは県道26へ左折して、本庄川ぞいに6kmで橋のそばの駐車場に着く。
地図はJAFルートマップから転用 |
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