このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

川古の大楠
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場所・佐賀県武雄市
     若木町川古


 八幡岳ば下ってきた麓に若木町川古(わかぎまち かわご)ていう所がある。

 むかし、ここには保元の乱で敗けて九州に流された源為朝(鎮西八郎)の館があったとゲナ。

 八郎はヒマばもてあまして、よう八幡岳に登って弓の鍛錬ばしよったらしか。

 そやケン、山の名も源氏の守護神・八幡大菩薩にちなんでクサ、八幡岳ていうとタイ。

 いまでも、この近くには「御所」ていう地名が残っとる。

 その川古に大楠がある。
  幹廻り22m、根廻り33m
  高さ25m

 大正13年に国の天然記念物に指定されとる。

 全国で五番目て聞いとったとバッテン、今度訪ねてみたら、なんと三番目になっとった。

 上位にあった他んとこの二本が枯れたか、倒れたかして、繰り上がったとらしか。

 佐賀県には楠の大木が多く、特に武雄は武雄神社と塚崎3本が代表的。

 佐賀県の県の木が「くす」で、「肥前風土記」によれば、ここに来てくすの木の茂っとるとば見たヤマトタケルが「この国は栄の国(さかのくに)と呼ぶがよか。て云いなった。

 「さか」が転じて「さが」になったていうくらいのもんタイ。

 木に近寄って見たら、輪ば幹に刻んで堂々たるもんタイ。

 樹齢3000年とも云われとる。

 3000年て云えば日本の歴史より古かじゃなかね。

 もともと佐賀は楠が多か。楠は県木でもあるとタイ。

 大切に手入れされとって、そばには「為朝館」ていう休憩所兼土産品店がある。

 近くのおばあちゃん達が交代で店番ばしとんなる。

 為朝が黒髪山の大蛇ば退治したていう有名な伝説が、浄瑠璃で語られとる。 

 民衆に人気のあった奈良時代の僧、行基菩薩(700年頃)が、立ったままの木に観音像ば彫んなったとゲナ。

 この観音立像は、明治の廃仏毀釈で顔面ば削り取られ、さらに昭和60年には、幹から剥がれ落ちたケン、今では側の観音堂に祀られとんなる。

 制作年代ははっきりせんバッテン「川古庄屋日記」から、
明和3年(1766)にはすでにあったことが判っとるとゲナ。

 像の高さは201cm

 いまは大事に保管されとんなる。

 周辺も武雄市がよう整備しとるケン、気持ちがよか。

 田んぼにはトンボが飛び交い、蛙の鳴き声も聞こえて、日本の良か田舎の空気がここにはある。

 公園の片隅に供養塔が並んどって「川古の合戦慰霊碑」があった。

 川古の合戦なんて聞いたことがなかケン、近くの店の人に聞いたバッテン、知んなれん。

 帰って調べたバッテン、分からんやった。大友が絡んどるとかも知れん。

 長崎自動車道ば武雄北方ICで下り「二俣」の信号ば右折。

 国道498号ば伊万里方向へ走り、約7.5kmで「若木町川古」の信号ば左折。

 50mで突き当り、細い道ば右折すれば約30mで左手にある。

 駐車場はみちの右側にある。

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