このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

佐多岬と南国ロマン街道
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 垂水市から1kmほど南に、薩摩明治村ていう宿泊施設がある。

 なんで明治村なのかは分からん。それらしき雰囲気もなか。

 シラス台地の上に、財宝グループていう「水もん」ば作っとる会社があって、その一角にレストランやら露天風呂がある。

 部屋は社員寮風で素っ気なかバッテン、黒豚のシャブは旨か。

 南から見る桜島は、一番高っか北岳(御岳1117m)が左で、中岳・南岳と続いとる。

 朝が順光で、夕陽はちょうど桜島の真ん中に落ちる。

 東風が多かケン、鹿児島市内は灰で迷惑やろうバッテン、桜島ばっかりは噴火しとらな馬鹿のごたあ。

 錦江町ば過ぎて、南大隅町に入ると「台場跡」ていう海岸の遺跡公園がある。

 台場ていうとは、砲台場の略で薩英戦争の時、薩摩藩がここに砲台ば据えとった場所タイ。

 薩英戦争いうたら、文久2年9月(1862)に横浜郊外の生麦村で、薩摩藩の行列ば乱したけんいうて、イギリス人3名ば薩摩藩士たちが殺した「生麦事件」から始まっとうとタイ。

 昔のことはともかく、ここから対岸の開聞岳は美しか。

 九州本土最南端の佐多岬は、北東から伸びてきた大隅半島が細まって海に沈み込んどる。

 岬の先100mの小さなくせに大輪島ていう岩礁があって、この上に明治4年(1871)に初点灯したていう佐多岬燈台が立っとる。

 燈台は、英国人リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計やったげなバッテン、太平洋戦争で空襲ば受けて壊され、1950年に再建されたていう。

 岬へ行くとは、有料道路の佐多岬ロードパークウェイ(いわさきグループ)でしか行かれん。

 自転車・徒歩での通行はでけん。自転車や歩いて日本縦断ばしとるもんなあガッカリタイ。

 岬の展望台は、台風で壊れたまま立ち入り禁止。レストランも窓ば吹き破られたままで休業。

 かっての観光名門いわさきグループも草臥れとんなる。

 
左・最南端の公衆電話BOX

 岬の北100m足らずの所ば北緯31度線が通っとってクサ、ニューデリーやカイロと同緯度ゲナ。

 本物の芭蕉やら椰子、ガジュマルが生えとって、南国の雰囲気タイ。

 ブーゲンビリヤ、ハイビスカスの赤も、植物園のとは「赤」の赤かりようが違う。

 ホテルに云うたら、南大隅町長が証明した、最南端到着証明書がもらえる。

 貰えるいうたっちゃタダじゃなか。100円で買うと。

 最南端・最南端ておもしろがってクサ、ガス欠ギリギリまで走って最南端のスタンドで給油した。

 気の利いた小六の子がおったケン、レシートの裏にサインばして貰うた。

 高校は遠すぎて行かれんケン、「中学ば出たら親の仕事ば継ぐ」て健気なことば云いよった。

 ロードパークの入り口から、ちょこっと左に入ったところにある佐多岬ふれあいセンターは、ホテル並の設備で大隅海峡から種子島ば眺めての展望風呂がよか。
 一泊二日で7800円は安か。

 ロビーに南大隅町の観光ポスターが貼ってあってクサ、大きな字で「日本のフロリダ」て書いちゃった。

 だいぶん寸の短かかフロリダやが、まぁ、よかタイ。

 国分の検校橋で10号線と分かれ、あとは220号線をただひたすら南へと走る。

 約30kmで桜島の大正溶岩が垂水と繋がった早崎。20kmで鹿屋港。さらに、根占港ば抜け、うんざりする50kmで佐多町(根占町との合併で南大隅町)大泊に着く。

 佐多岬ロードパークウエイを1000円で8km走ったら、そこがやっと九州最南端の佐多岬ていうこと。とにかく遠か。

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