カノコユリ(月瀬神社) |
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| 場所・福岡県・中間市
中間市の遠賀川にかかる遠賀橋の西に上底井野という地区があって氏神さんば月瀬神社ていう。
22代目の宮司・佐野さんによると、神社の丘の南西斜面に、昔からカノコユリが自生しとったらしか。
佐野さんの記憶では、おばあさんが、とても大切に手入ればしとんなって、この中に入るだけで、おごられたていう。
いつの世の
たがうえつらむ築山の
岩間にかほる
百合のひともと
90才で亡くなったそのおばあちゃんが、88才の時に詠まれた歌だそうで、短冊ば表装して大切にしてあった。 |
| 栽培種じゃのうて、まさに自然のまま大切にされてきたユリやケン、とても品のよか。
斜面いっぱいに咲く頃は。あたりいちめん芳香がただようゲナ。
毎年7月始めから咲き始め、15日〜25日頃まで見ることができるていうことやった。 |
| カノコユリは漢字では鹿子百合て書く。花弁の斑点ば鹿の子絞りに見立てた命名やろう。
九州と四国に多く自生する。
長崎オランダ商館の医師やったシーボルトが、長崎から持ち帰って開花させ、ヨーロッパの人々ば驚かしたていう話は有名か。 |
| 80段の真っ直ぐな石段ば上がると、月瀬神社の本殿がある。
この場所は室町時代、麻生氏によって築城された月瀬城の本丸跡やったていう。 |
| 月瀬城は別名「猫城」てもいう。今の神社の丘がそうで、高さ20m程の円錐形ばしとる。
すそ野には水濠のあとが見られるていう。
遠賀川ばはさんで、山鹿城の麻生元重と、宗像大宮司氏貞は何度も戦うたバッテン、決着がつかず、天正6年(1578)、川の東ば麻生、西側ば宗像とすることで和解した。
以後猫城には氏貞の家臣吉田倫行が手勢150人ば連れて入った。
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| 天正8年5月、豊後大友宗麟の命ば受けた立花城の立花道雪と、鷹取城の毛利鎮実が攻めてきたとバッテン、猫城の宗像勢は追い返しとる。
平地の平城に近か猫城やが「敵が攻めてくれば高くなり、攻め下るときは低くなって、まるで猫のようだ」ていうことから猫城と云うた。
なんとも便利な城があったもんバッテン「そげなことがあるもんかい。猫が背中ば丸めた恰好に見えたけんタイ」ていう説もあり、こっちの方が常識的。
「カノコユリがいま見頃です」ておもてに看板まで立てた宮司さんの親切が嬉しか。 |
| 福岡市から国道3号線ば北上、遠賀川橋の手前で右折、5kmほど川土手ば南下する。
次の遠賀橋で右折し、垣生公園の前からさらに1kmほど西へ進むと、左に上底井郵便局がある。
その先の信号ば小さな小川に沿って右折すれば、10mほどで右側にある。境内に2台は駐車可。
地図は、
JAFルートマップから転用 |
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