2006年 博多の飾り山笠 |
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「山笠のあるケン、博多タイ」ていえば、もう、ちょっと、ありふれてきたバッテン
「おいっさ、おいっさ」て、やっぱあ山笠のこな、博多の夏は始まらん。
寛元元年(1243)、聖一国師が疫病退散ば祈ってクサ、施餓鬼棚(せがきだな)に乗って
町中に聖水ば撒いてまわんしゃったことから始まって、もう763年目タイ。
タイムば競う追い山と、美しさば競う飾り山が分けられたのは、明治中期のこと。
なしかていうたら、電信柱ができて高い山が通られんごとなったけんタイ。
今年の飾り山の中から、駅長の好きな人形だけばピックアップ |
| 七番山笠
千代流 (表)
三国志
(さんごくし)
周瑜
人形師 川崎修一
呉に攻め入ろうとした曹操百万の大船団ば、周瑜と孫権の五万の水軍が孔明の知略で打ち破る。
ご存知「赤壁の戦い」 |
| 七番山笠
千代流 (見送り)
賢婦名馬誉
(けんぷ めいばのほまれ)
山内一豊
人形師 川崎修一
NHKの影響ちゃえずかねえ。今年は山内一豊が2本も立っとる
ヤセ馬で、夫に恥かかせちゃあイカン思うて、嫁入りの持参金ば全部はたき、よか馬ば買うてやつたとが、妻の千代・仲間由紀恵タイ。 |
| 四番山笠
東流 (表)
菅原伝授手習鑑
(すがわらでんじゅ
てならいかがみ)
松王丸
人形師 室井聖太郎
菅原道真を陥れた、左大臣藤原時平の舎人(とねり)松王丸。 |
| 四番山笠
東流 (見返り)
素戔嗚尊蛇退治
(すさのおのみこと
おろちたいじ)
素戔嗚尊
人形師 室井聖太郎
もともと山笠は、素戔嗚尊(祇園さん)のおまつりやケン、今年も草薙の剣が2本立った。 |
| 十五番山笠
博多リバレイン (表)
勧進帳
(かんじんちょう)
富樫
人形師 置鮎琢磨
安宅の関で、落ちていく義経をかばう弁慶のウソば、知っとって欺されてやる富樫。
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| 十五番山笠
博多リバレイン (表)
勧進帳
(かんじんちょう)
弁慶
人形師 置鮎琢磨
なぁーも書いてなか勧進帳ばあたかも書いてあるごと読んでみせる弁慶。演技はバレバレやが・・
さすが、博多座の前だけあって成田屋って声かけとうなる。
見送りの「母に捧げるバラード」はつまらん。だいたい武田鉄矢は博多のモンのふりしとるバッテン、博多のモンじゃなか。
あれは田舎モン。 |
| 十番山笠
博多駅商店連合会 (表)
姉川の合戦
(あねがわのかっせん)
人形師 置鮎正弘
元亀元年(1570)6月28日、琵琶湖にそそぐ姉川河原で、織田・徳川連合軍3万と、浅井・朝倉連合軍2万が衝突した。
浅井の嫁は、信長の妹「お市」やったといねえ。厳しかバイ。 |
| 十番山笠
博多駅商店連合会 (表)
飾り山は、櫛田神社に向いとる方が「表」でお札の飾っちゃあケン、スグ分かる。
反対側は「裏」とは云わんで「見返り」ていうと。
この博多駅前んとだけは、櫛田にシリむけて、駅の玄関に向いとる方が「表」で例外。
見る人の利便性が、きびしか山笠のしきたりば破っとる。
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| 八番山笠
上川端通 (表)
羅城門
(らじょうもん)
源 頼光
人形師 田中比呂志
羅生門は後世の当て字で、羅城門が正しか。禁札ば鬼じゃのうて、防衛施設庁の玄関に立てとかな。
この山だけは、飾り山ば舁いて走る。重さがある分、舁き手の人数も多かし、走る距離も短か。
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| 八番山笠
上川端通 (見送り)
碇知盛壇浦散華
(いかりとももり
だんのうらのさんげ)
人形師 田中 勇
なしか駅長は亡霊の人形が好きで、今年もこの平知盛が一番ゲナ。
歌舞伎では、平家一族の滅亡ば見届けた知盛が、碇ば抱えて仰向けに崖から飛び降り自害する。 |
| 五番山笠
中州流 (表)
智謀真田勇戦誉
(ちぼうさなだ
ゆうせんほまれ)
人形師 三宅 隆
負けるて分かっとる西軍について戦うたケン、幸村は人気のあると。
負けるて分かっとる福田に何人つくかねえ。
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| 五番山笠
中州流 (表)
智謀真田勇戦誉
(ちぼうさなだ
ゆうせんほまれ)
人形師 三宅 隆
この勢いのよか波頭ば見よったら、蒸し暑か梅雨の汗がスーッと引いた。 |
| 五番山笠
中州流 (見返り)
梅里博多人情噺
(ばいり はかたの
にんじょうばなし)
水戸黄門
人形師 中村信喬
1969年から37年も続くTBSの長寿番組、ご存知水戸黄門。
初めからずーっと同じスポンサー(ナショナル)ちゅうとも珍しか。 |
| 五番山笠
天神一丁目 (表)
天神菅公一代記
(てんじんかんこう
いちだいき)
菅原道真
人形師 中村信喬
道真さんが博多の浜に着きなったとき、漁師たちが船のとも綱ば巻いて砂浜にご座所ば作った。
これが綱場天満宮で綱場町。
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| 五番山笠
天神一丁目 (表)
四十川の流れに身ば映して、哀れと思いなったとが、水鏡天満宮タイ。
九州で一番人の集まる天神は、天神さんから来とるとタイ。
へぇーっ、て、たまがって婆さんたちの見上げとんなった。
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| 五番山笠
天神一丁目 (見返り)
言論百三十年九州に立つ
(げんろん
ひゃくさんじゅうねん
きゅうしゅうにたつ)
人形師 井上和彦
エルガーラの通路では山笠のお絵かき大会が今年もありよった。
インドの親子連れが一生懸命スケッチ中。山笠も国際的バイ。 |
| 五番山笠
天神一丁目 (表)
天神一丁目の山笠の前には、記念撮影用のボードが置いちゃあーる。
のぼせもんの駅長が早速、頭ば突っ込んて、写真撮って貰いよったら、通りかかったネエチャン達に「この年寄りはバカじゃなかとお」て云うごたあ目で見られてしもうた。
アメリカ人と違うて、日本の老人はクサ、こげなとこで、ひょうげる(おどける)ことばして、笑われるとはキライのごたる。
ところが駅長は、ガキの頃からトンピンつくとが大好きタイ。
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| 十三番山笠
ソラリア (表)
日中宥和徐福勲
(にっちゅうゆうわ
じょふくおいさおし)
徐福
人形師 置鮎正弘
始皇帝が死ぬとのえずかもんやケン、徐福に云うて、死なん薬ば日本に探しにやった。
徐福はよか迷惑タイ。ありもせん薬ば探し回り、とうとう八女の童男山で死んだ。 |
| 十三番山笠
ソラリア (見送り)
龍神海加護輝金印
(りゅうじんかいかご
かがやくきんいん)
人形師 小島慎二
志賀島から金印のでたケン、奴(那)国が邪馬台国やろう、て、いうあわてもんの学者もおる。 |
| 十四番山笠
新天町 (表)
智略赫々倶利伽羅峠
(ちりゃくかくかく
くりからとうげ)
人形師 亀田均
木曽義仲の嫁さん「巴御前」は、色白で長い黒髪の美人やったゲナ。
倶利伽羅峠では平 維盛軍ば、「水牛の計」でやっっけとんなあと。しっかりもんのカカさんば「巴御前」ていうほど強かった。 |
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