このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

太宰府天満宮
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場所・福岡県太宰府市

 太宰府天満宮は菅原道真ば祀る天満宮の総本山タイ。。

 現在の本殿はクサ、天正19年(1591) 小早川隆景が再建したもんで、 桃山時代の華麗で豪放な建築様式の特徴がよう出とるとゲナ。

 もちろん重要文化財(国宝)タイ。

 本殿の向かって右にあって、白か花ばつける梅が有名な飛梅で、左遷された道真ば慕うて京都からクサ、一夜のうちに飛んできたていわれとる。







 

 天満宮の宝物殿のそばに、中国の伝説上の動物、麒麟(きりん)の像がある。

 この麒麟が太宰府天満宮の聖域の境界線てなっとると。
 麒麟の胸から本殿側が聖なる領域ていう訳タイ。

 長崎のグラバーさんなあ、この麒麟像が好きで、友人のビール会社ば引き受けたとき、名前ば「キリンビール」て変えなったほどやった。

 それが今のキリンビールに受け継がれとるていうことぁ、誰も知らん。。

 現在の宮司・西高辻(にしたかつじ)さんは道真の直系の子孫ゲナ。どうして道真の名字である「菅原」姓じゃなかとかていうと・・・

 平安の都には、菅原姓がたくさんおって、それぞれ呼び分けするためにサブネームば使うとったらしか。

 道真の菅原家は「西高辻」ていう場所にあったケン、このサブネームば使うごとなったていう。

 道真は、西暦845年6月25日の生まれで幼名は阿呼(あこ)。

 5才の時、庭の梅ば見て「うつくしや 紅の色なる梅の花 あこが顔にもつけたくぞある」て詩ば詠みなったゲナ。栴檀は双葉より・・とはこのこと。
 だたし、ほんなことなら、ね。

 33才で学者としての最高位「文章博士(もんじょうはかせ)」に就任するほどの秀才やった。

 学問の神様てお詣りが絶えんとは、これにあやかりたいけんタイ。

 宇多天皇の厚い信任ば受け、右大臣にまで昇進しなったっちゃが、左大臣藤原時平の謀略で、疑われて太宰権師(だざいごんのそつ)に左遷された。

 太宰府についてまもなく、長旅の疲れか子の隈麻呂が死んだ。

 嘆き悲しんどった道真ば慰めようて、近くに住む老婆がクサ、餅ば梅の枝に添えて持ってきたとが・・・
「梅が枝餅」の始まりゲナ。

 道真は毎日、天拝山に登り復権ば神に祈んなったとバッテン、59才の春、都に帰れんまま生涯ば終えなった。

 亡骸ばのせた牛車(ぎっしゃ)が、いま天満宮のある場所で動こうてせんやったもんやケン、道真ば慕うとった人々は、そこに墓ば作り墓の上に社ば建てて祀ったていう。それがいまの天満宮タイ。

 福岡市から車ならば、3号線ば南下して都府楼の高架ば過ぎ「朱雀大路」の信号ば左折する。

 100mで都府楼跡に突き当たるケン、今度は右折する。

 太宰府市役所前ば通過。「梅小路」信号ば「九州国博」のほうへ右折して、すぐ踏切ば渡り、つぎの信号ば左折したあたりの駐車場が、新しうなった光明禅寺・藍染川の通りから天満宮に行くとに便利のよか。

 西鉄電車なら、太宰府線終点から土産品店の並ぶ参道ば歩く。 

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