戒壇院 |
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| 場所・福岡県太宰府市
奈良時代、聖武天皇の勅願により建立された観世音寺境内に、天平宝字5年(761)に建てられた名刹・戒壇院がある。
平安末期作の毘廬舎那仏(るしゃなぶつ)座像が本尊で、国指定重要文化財になっとる。
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| 日本三戒壇院のひとつタイ。
三戒壇院とは、奈良の東大寺と下野(栃木県)の薬師寺と、 ここ筑紫観世音寺のこと。
唐の名僧・鑑真(がんじん)和上ば招いて設置されたとゲナ。
名僧鑑真和上もしばらく、この戒壇院に滞在しとったことがあるていう。
筑紫の戒壇院はとくに「西戒壇院」ていわれとった。
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| 「戒壇」とは、僧侶が守るべき規律のことで、西国で僧になるためには必ずここで受戒せなならんやった。
いまなら、自動車運転免許試験場みたいなもんやったっちゃろう。 |
| 戒壇院は、はじめ観世音寺の一部やったとバッテン、江戸時代・元禄16年(1703)に、博多禅宗四ヶ寺の管理という藩命が下され、禅宗寺院の支配下となった。
そして、近代に入って、博多の聖福寺末寺となり、今日にいたっとる。
板囲いの鐘楼も珍しかが、元禄14年、博多の鋳物師・磯野七兵衛によって鋳成された梵鐘には、金剛界四仏・四天王・十二神将の梵字・光明真言24文字が鋳込まれとって、朝夕、筑紫野に妙音ば響かとる。
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| 山門には肉太の文字で「葷酒肉(くんしゅにく)境内に入るを許さず」て書いた戒壇石が立っとる。
この意味は匂いの強い野菜(ねぎ、にら、にんにくなど)や酒、肉は精が付きすぎて修行ば妨げるため、 清浄な寺内に入ることば許さん」ていう意味で、禅寺の入口にはよう立っとるあれタイ。 |
| 車なら太宰府といっしょで、3号線ば南下して都府楼の高架ば過ぎ「朱雀大路」の信号ば左折する。
100mで都府楼跡に突き当たるケン、今度は右折する。
次の歩行者用信号ば左折すると、観世音寺への参道で、すぐ右に大きな無料の駐車場がある。
西鉄電車なら、太宰府線終点から電車に沿って県道ば約1kmバックする。 |
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