綱敷天満宮 |
「冬」の目次へ
|
観光案内所へ
|
| 場所・福岡県椎田町
椎田町の「浜の宮海水浴場」の近くにある綱敷天満宮は菅原道真ゆかりの場所。
昌秦四年(901)九州に左遷された菅原道真が大宰府に赴く途中、暴風にあいこの浜に打ち上げられた。
その時、地元の人々が漁船の網ば敷いて休んでもろうたていう。
この故事があるケン、綱敷天満宮ていうとタイ。 |
| そして村人は、この地に黒木の休所ば造り御座所とした。 道真ははここでしばらく休養しなってから太宰府に向うて行きなったゲナ。
3年後の延喜元年(903)、不遇ばなげきつつ道真は太宰府で死んだ。
そののち京都では天変地異が続いたもんやケン、「こらあ道真の怨霊のせいバイ」いうて朝廷は怖れおののいた。 |
| 天暦九年(955)朝廷は、ご神託があったいうて国府に命じ社壇ば造営した。
さらに寛永十四年(1634)、豊前国主・小笠原忠真、豊後国主・木下延俊によって現在の社殿が 造営されたていう。
この神社には知名人もいっぱい参拝しとるごたって、元禄七年(1694)には貝原益軒も訪れ「椎田の西四丁ばかり東の浜に 松原あり。其内に綱敷天満宮の社あり、海辺佳景なり・・・・」て、書いたもんが残っとる。
また芭門十哲の一人、各務支考 の旅日記「西華坊笈日記」には「昼がほよ 今宵はここに はまの宮」ていう句が記されとるゲナ。 |
| この綱敷天満宮には梅が好きやった菅原道真らしく、社殿の周辺に約1000本の梅の木が 植えてある。
2月中旬〜3月上旬にかけてが見頃で、例年2月25日には「梅祭大祭」いうとが催されるていう。
太宰府とちがい休日以外は訪れる人が少なかケン、落ち着いた風情がある。それに梅もバッテン、海岸の「黒松」が美しか。 |
|
| 綱敷天満宮前の海岸は、昔から美しい砂浜やったらしいけど、今はコンクリートで整備された海水浴場となってしもうとった。
綱敷天満宮ていうとは博多の綱場町にもある。
菅原道真が「袖の浦(今の博多港)」に上陸しなったとき・・・・あとはここのと同じ故事が伝えられとる。
博多の綱場町ていうとも、ここの故事から来とるとタイ。 |
| 小倉から国道10号線ば東進。苅田町の渋滞ば抜けて、行橋バイパスを通過。10号線ばそのまま約10Kmで椎田町に着く。
役場前から左折し、橋ば渡って左へ大きく回り込むと神社前の大駐車場。
注意・行橋からの椎田道路には入らないこと。 |
「冬」の目次へ
|
観光案内所へ
|