このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

四天王ば祀った四王寺があったケン四王寺山
 
 
太宰府政庁のあった都府楼跡の後ろに、ちょうど屏風でも立てたごと台形の山がある。
 これが四王寺山。

 宝亀5年(774)ていうケン、八世紀末、新羅が日本に攻めてきそうな雰囲気があった。

 それが怖さに、時の49代光仁天皇が、太宰府政庁にいうて、この山の(当時は大野山)鼓ケ峰に寺ば造らせ四天王像ば祀った。

 四天王ていえば、仏教で四方ば守る、持国天(じこくてん・東)、増長天(ぞうちょうてん・西)、広目天(こうもくてん・南)、多聞天(たもんてん・北)のことタイ。
 日本ば、神頼みじゃのうて、仏に守って貰おうていう、軟弱な魂胆やった。
                                
都府楼跡の背後に見える四王寺山


 寺の名は四天王ば祀ったから、円満山四王寺。像は丈六ていうから、一丈六尺ていえば約5mに近い大きなもんやったらしか。


 そのお加護があったケンかどうかは、分からんバッテン、とにかく新羅は攻めて来んやった。

 そこで止めときゃよかとい、もうよかろういうて、四天王ば太宰府に降ろし、金光明寺に遷座した途端、疫病が流行りだして大変なことになってしもうた。

 「仏さんの腹かかっしゃった」て、慌てた太宰府政庁が、また四天王ば四王寺に戻したところ、それまで猛威ばふるうとった疫病がウソンごと、納まってしもうたゲナ。

 それ以来、四王寺は天皇から土地ば貰うたりして栄え、一時は千ば超える僧坊があったていう。





日本最古の山城・大野城跡に残る城壁「百間石垣」

「山笠のあるケン、博多タイ」じゃなかバッテン、「四王寺のあったケン、四王寺山タイ」ていう訳やねえ。

 四王寺山はそれ以外にも、山いっぱいに歴史の詰まった山でねえ。話し出したらキリのなかケン、このへんでやめとこう。

 ちなみに、大野城市は、四王寺山に大野城(おおののき・昭和7年国の史跡に指定)ていう城のあったケン、それが市の名になっとると。

 ほんなこたあ、四王寺山の天辺なあ、太宰府市と宇美町の境界線上にあるとバッテンね。大野城跡は大城山(おおぎやま・大野城市)にあると。ま、ひっくるめて四王寺山塊ていうことにしとこう。

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