このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




吉 坂 峠



吉坂トンネル吉坂トンネル


1 吉坂峠

 福井県大飯郡高浜町と京都府舞鶴市の県境にある標高約120mの峠で、古来から丹後街道が通っていました。

現在は峠に代って吉坂トンネルが峠下を貫通し、国道27号が通っています。

 この峠は、北の青葉山(高浜町)と南の三国岳(高浜町)の間にある若狭・丹後旧国境尾根の最低鞍部にあり、

福井県側の峠下集落、蒜畠には近世、女留番所が置かれ、さらに東の関屋には古代、中世の関所があったといいます。

 また、この峠は昔から戦略的要地として、しばしば合戦の場となり、戦国期に若狭、丹後の諸勢力が戦いました。

 とくに永禄9年(1566)高浜城主逸見駿河守が、この峠で丹後の兵を迎え撃ったことが「若狭郡県史」に記されています。

 旧峠は現在では廃道になり、高浜町六路谷からの旧峠上り口に杉森神社があって、境内に菩提樹の巨木と国天然記念物御葉付銀杏2株があります。

 県境峠道の左右には大石があり、古来から旧国境を示す境石だと伝えられ、また、石の形が犬に似ていることから犬石といわれます。

 西(丹後)に向かって右の石を若狭犬、左の石を丹後犬と呼ぶそうです。



吉坂峠付近図


2峠下の集落

(1) 関屋
(大飯郡高浜町)

 関屋は高浜町西部を流れる関屋川の上流域に位置した集落で、丹後街道の国境を控えて、古来、関が置かれた所といわれます。

 ここは丹後街道だけでなく、丹後の松尾寺から下りてくる巡礼道、丹後多門院から若狭上津の黒部谷へ下りてくる道が出合う要所でした。

 そのため「関」が置かれたのでしょう。その名残りか路傍に「休屋」が残されています。



(2) 蒜畠
(大飯郡高浜町)

 高浜町六路谷の一つ手前(東側)にある集落、その南端の街道沿いに「若州女留関所之古跡」と記された石碑があります。

 「女留」とあることから、江戸期、この付近に女留番所が置かれ、幕府の命令に従って各国は「入鉄砲」と「出女」に厳しく目を光らせました。

 「雲浜鑑」に「蒜畠女番所、七十坪半、木戸門構有、制札場一ヶ所」と書かれてあります

 ここを過ぎると六路谷を経て吉坂峠へと上りました。旧峠道はトンネルの上を直角に越えたといわれます。



(3) 六路谷
(大飯郡高浜町)

 福井県の最西端に六路谷があり、北方の吉坂峠は昭和36年(1961)トンネルが完成するまで舞鶴方面への往復に利用されました。

 また六路谷は、蒜畠関所の奥に位置していたため、当村は関所抜人の監視役も負っていたといわれます。



主な参考文献

角川地名大辞典18福井県      角川書店
越前・若狭歴史街道      上杉喜寿著
越前・若狭峠のルーツ     上杉喜寿著





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