このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

つなわたり/ロープウェイに乗ろう

大阪府公園協会 浜寺公園 子供汽車(1.3km)(その2)

岸和田だんじり会館・外観中は岸和田の誇り熱気ムンムンのだんじりの展示です。隊長はもっと不思議系のものに反応していたようでしたが、岸和田に来た甲斐があったというものです(いいのか?こんな真面目なコメントで)。

浜寺公園駅・有名なレトロな駅舎昼食後,浜寺公園へ移動。

有名なレトロな駅舎です。ここから浜寺公園までしばし歩きます。怪し気な集団が公園なんて?大丈夫なんでしょうか?

浜寺公園・子供汽車(駅側の駅)歩く事しばし、

ついに浜寺公園の子供汽車発見です。予想外の本格的な鉄道に一同暫し唖然としていました。しかし、そこは百戦錬磨の精鋭部隊すぐにシャッターの雨アラレで応酬しました。

駅には浪速号の由来と諸元が掲載されていました。「浪速の由来:浪速はわが国最初の私鉄である阪堺鉄道が明治18年に、日本で初めてドイツから輸入した,ホーヘンオールレン製B型サドルタンク機関車で下廻りをスカートで覆われた珍しい型であった当時同型式の吾妻,住江,大江の3両と釜石から払い下げを受けたイギリスシャープスチュアート製の和歌,芳野2両と共に計6両で難波堺間を運行していた。機関車名は路線付近の地名等から銘名されたようで、浪速の名も大阪市及びその付近の古称からつけられたようである。明治31年に阪堺,南海両鉄道合併後南海鉄道の花形として活躍したが明治37年には大阪汽車製造合資会社(後川崎重工と合併)へ売却され、入替専用に使われた後官営八幡製鉄所へ転売され「重箱」の愛称で呼ばれ昭和25年頃まで働き65年の生涯を終えたのである。」とあります。

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